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理想と現実と

私は誤まった評価を受けることがよくある。と思っている。


誤まり方も一様ではなく、実際より低い評価を受けることもあれば、高い評価を受けることもある。どちらの場合に於いても、最終的には空虚感、物悲しさが残る。実際の通りに他人から評価してもらえたときのみ、私の心は素直な喜びで満たされる。


では、実際とはなんなのか。
実際の私、とは。
そう考えてみると、ここで言う実際とは自分が認識している自分の姿ということになるだろう。自分のことは自分が一番よく判っている。実は他人のほうがよく判っているのだといわれることもあるが、それは言葉の定義の問題にもなってくるのでまた違った議論をしないといけなくなる。
どちらにせよ、自分が認識している自分の姿のことを、"ほんとうの自分"と思っている人が多いのではないだろうか。私に限らずとも、大抵の人はそうなのではないだろうか。


すごいね、といくら褒められても、"ほんとうのわたしはそんなんじゃないのに"と思う。それはほんとうの自分の空虚さを改めて認識するきっかけとなる。そしてほんとうの自分、ほんとうは空虚な自分を知られてしまうことに対する恐怖感が増す。もっと自分をよく見せようとする結果、またほんとうとは違う評価をされて傷つく。褒められているのは"ほんとうのわたし"ではない。やっぱり"ほんとうのわたし"を褒めてくれる人などいないのだ、と。


実際、自分すら、"ほんとうのわたし"を褒めてあげていない。


うつなどの病気にかかりやすい素因のある人として、「完ぺき主義」「神経質」などの気質があげられている。私は決して病気ではないが、「この世から消えてなくなりたい」という思考、医学用語でいう"希死念慮"の軽いものみたいな思考が慢性的にある。いつからかと問われれば、思い出せないくらい昔から。何かのきっかけによりその思いは強くなったりする。友人などは、人生を楽しんでいるように見えるし何事もなるべく楽観すべきだと口では言う私が、そのような考えに囚われていることを不思議がる。私も、人生を楽しむため、ひいては幸せな毎日を送るためには、そんなネガティブな思考は邪魔だということくらい判っている。そういう思考が私の幸せへの前進の足手まといになっているのだとも。


でもそれは必然的に生まれてくる思考であって、どうしても消すことは出来ない。ある程度の条件が揃っているからだと、自己分析により結論付けた。すなわち、①理想がたかくて②完ぺき主義で③心が弱い。


平たく言えば、理想と合致しない自分のままで生きていることが苦痛なのである。かといって高い理想に自分を近づけられるような努力家でもないから、それなら消えてなくなってしまえれば楽だ、という短絡的思考に逃げるのである。そういう気持ちの強くなったのが、うつの自殺企図とかに発展するのだろうか。私は気付かないふりをしてみるだとか、「ま、しょうがないっか」と妥協、楽天してみるなどの回避策でもって対処しているが、本当はダメダメな自分で生きていることが恥ずかしい。恥ずかしくて堪らない。それでもこの世に生き続けてるということ自体が耐え難い恥さらしだ。


そういう恥ずかしい気持ちを100%自分開発のエネルギーに変換できればいいのだが、どうもその変換効率が悪いように思う。20%くらいは有効利用されるが、残りの80%は「やっぱり消えたい」という無為な思考となるだけ。


消えてしまえば楽になれる。
一番安易で卑俗な思考なのだ。
これが消えてなくなる日は来るのだろうか。
そのときは生まれ変わりのときのような気がする。


"Love Yourself"
それは想像もつかないほどのエネルギーを要することかもしれない。


しかし輝きを放つ人の
世界共通言語だろう。

プロフィール

chippe

Author:chippe


肉好きchippeのブログへようこそ!
2006年10月 山歩きを始める。
2007年9月 クライミングを始める。
山岳同人「青鬼」所属。
「メラメラガールズ」所属。
国際認定山岳医。
「カリマーインターナショナル」アンバサダークライマー。
現在は無職、旅人。
旦那さんはpecoma。

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