2008/04/09
趣味・娯楽・スポーツ
古いクライミングの雑誌を読んでいて、こんな一文を見つけた。「モチベーションがなくなると続かないスポーツはクライミングぐらいしかない」
私はこの文章には全く共感しない。別にクライミングに限らずとも、スポーツなら何だってモチベーションが無ければ続かない。
この人が言いたかったのは多分こんなところだろうと思う。
”クライミングは怪我や最悪の場合死といった事故と隣り合わせのスポーツで、正しい知識や技術を習得せずに初心者が安易な気持ちで出来るスポーツではない。それ故確固たるモチベーションを保ち続ける人でなければ継続することは難しい。”
だがこれもどのスポーツにだって言えることである。岩場で落石にあったり確保している支点が壊れて墜落したりする確率は、ラグビーで頚椎損傷したりスキーで大転倒して大怪我を負ったりする確率と大して変わらないだろう。どうしてもぱっと見がワイルドだから、「危険なスポーツだ」と認識されやすいだけだろう。
上で言ったことは言い換えれば、「クライミングはただ楽しいだけのスポーツではない」というような意味の内容になるが、つまりこの文章を書いた人はスポーツとただの娯楽の概念を混同してしまっただけのようだ。
そもそも、単純に「趣味」といった場合、これはいろいろなものを広く指す言葉になる。スポーツをやっていればそれも趣味と呼ぶだろうし、パッチワークをやっていても趣味と呼ぶだろう。またテレビドラマを毎週欠かさず見る事だって立派な趣味だ。
だから趣味という言葉は使い方によっては誤解を招くことになりかねない。
たとえば何か「趣味」が欲しくて、探している人が居るとする。
ひとりは何か夢中になって打ち込めることを見つけたいと思っている。
ひとりは日々がつまらないので、気晴らし、楽しめるようなことがしたいと思っている。
この二人に、「じゃあクライミングでもやってみたらどうかな?」と誘ったとする。
二人ともクライミングが楽しくてハマってしまい、ジムに足しげく通うようになったとする。
ここで、クライミングとは壁を登るスポーツであるから、当然登れなければ楽しくない。1ヶ月くらい通えばそれなりに登れるようになってきて、そうすると必然的に、周りの人がみんな登っているアレが登れるようになりたい、もっとうまくなりたいと思うはずである。
そうなってきたとき、スポーツは「ただ楽しいもの」ではなくなる。恐らくモチベーションの有り余っている人にとってははじめた時となんら変わらず、ただ楽しいものであり続けるのだろう。だが後者のひと、「楽しめることをしたい」と思ってはじめた人は、苦しい筋トレなど、必ずしも楽しくないトレーニングをしてまでうまくなろうと思うだろうか。ここが同じ「趣味」でも違いが出てくるところである。
スポーツを趣味にするというのはモチベーションが前提となっている。趣味のために努力もするし苦しみに耐える。だがテレビドラマを見るという趣味ならモチベーションとか努力とか、何も要らない。楽しいことがしたくてはじめたはずなのに、気がついたら怪我をする危険を負って、苦しいトレーニングに耐えなければならなくなっていた。後者のような趣味を求めていた人がクライミングをはじめたら、明らかにこういったことになるだろう。だからある程度の時期が来たら続けられなくて辞めていくのだろうと思う。
「モチベーションがなくなると続かないスポーツはクライミングぐらいしかない」
と書いた人は恐らくそういう人種のひとりなのではないか。たぶん楽しい”趣味”としてはじめたのだ。はじめは単なる趣味だった。それが続けるうちに苦しみも伴うようになってきた。スポーツなのだから当たり前だ。この人ははじめクライミングをスポーツではなく、ただの遊びと勘違いしていたのだ。この文章は「モチベーションがなくなると続かない趣味のひとつにクライミングがある」とすれば正しくなるだろうか。
趣味は趣味でも、スポーツはただ楽しいだけじゃ続かない。
なぜなら、楽しいだけのレベルではいつまでたっても「真の楽しみ」を味わうことが出来ないのがスポーツだからだ。
苦しみを乗り越えた先に喜びがある。
それを乗り越えろと命令するのは他でもない、自分。それが”モチベーション”と呼ばれる心の声だ。
それにしても、そういった苦しみのようなものを全く感じさせない、「ただ楽しいからやっている」というだけでどんどん上手くなっていく(ように見える)人も中には居る。うらやましい限りだ。