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医師国家試験合格祝い

今日は国家試験合格祝いの日です。
うちの学校の6年生は卒業後とある幹部養成所みたいなところへ1か月半くらい研修にいかされるのですが、それが終わると学校に帰ってきてついに研修医生活がスタートとなります。




先週あたりからちらほら研修を終えた先輩方が帰ってきてました。でもうちの部活の先輩にはまだ会ってないので、今日の飲み会で久し振りの対面です。
その幹部養成所は体力的、精神的に追い込まれる場所なので、毎年ちょっとやせて雰囲気の変わった先輩方と飲みながらいろいろ話します。
飲み会は立食パーティで、それぞれのテーブルには部活単位で集まります。だいたいはその後先輩に”2次会”と称して焼き肉屋とかつれてってもらえます。なので今日も勝手に「今夜は焼き肉!」と楽しみにしています。




そしていよいよ1年後はうちらの番となりました。来年は祝われる側(になってるはず。なってないと困る)だから、祝う側としては今年が最後。なんだかいろんなことが最後です最近。




1年生のとき、うちの学校をやめたがっている人はたくさんいました。そのうち何人かはやめました。そして私がものすごく大好きだった人もやめていきました。私はやめたがっていた人のうちのひとりでしたが、結局やめずに残りました。




私はそのひとが学校をやめて去って行った時、人生最大の絶望みたいなものを味わっていた気がします。私はその人が冗談でなく本気で「学校をやめる」と言い出したときからずーっとその人を説得し続けました。どうしても行ってほしくなかったから。なりふり構わず、ずうずうしいくらい付きまといました。その人自身のことなんか考えてなかったです。とにかく自分のために、その人に「やめるな」って言い続けた。うちの学校は訓練と称して富士山に登るんですが、そのときは山のことなんてどうでもよくて、富士山登ってる間中もずーっとその人のことばかり考えてた。その人がいなくなるなんて、考えただけで心にぽっかり穴があくというか、心自体がなくなって穴になってしまうような気持ちでした。




それでもその人はやめていったわけですが、その経験から私は多くのことを学んだ気がします。
まずひとつは、どんなに「絶対立ち直れない」と思うような出来事に遭遇しても、案外すぐ立ち直れるものだな、ということ(笑)。そしてもうひとつは、私がそれからの6年間この学校でしてきたことすべてにあります。




その人がやめたとき、私は「なんで私はやめないんだろう」と真剣に考えました。その人はやめて、私は残った。ふたりともやめたいという気持ちは同じだったのに、両者には何か決定的な違いがある。考えた末にたどり着いたその決定的な違いとは、「やめたい」という気持ちが積極的なものか消極的なものかという至極単純なことでした。




その人は学校をやめてほかに行きたい大学があった。やめたいというのに積極的な理由があったんです。でも私はと言えば、受験ノイローゼから抜け出せてなくてもう再受験する気力はない。つまりただこの学校が嫌だからやめたいという消極的な理由だったんです。




それに気づいたとき、私は「それならば私はこの学校で頑張っていこう」と決めました。もう「学校をやめたい」などとうだうだ言い続けて時間を無駄にするのはよそうと。この学校に存在することにもっと積極的になって時間を有効に使おうと思いました。それから6年、積極的にこの学校を楽しんだし、それなりに満足しています。




同じく1年生のとき、なんだか苦労してるらしい私を気遣って高校の友達がある言葉をくれたんですが、その言葉もなんだか励みになった記憶があります。たぶん「そこに立ち続けて、卒業できればお前の勝ちだ」みたいな言葉だったように思う。もうすぐその卒業のときがやってきます。




卒業するとついに社会人になって医者になる。
まだ山とクライミングとビールのことしか考えてない私には到底想像もつかない話ですが、あの1年生のときからもう6年もたって、確実にあの頃とは違う自分がいる。そんな当たり前のことを改めて実感しました。




モラトリアムモラトリアム。

明日は体育祭

うちの体育祭では毎年1,2年生が連日激しい練習をして応援団披露をやる。
今日も本番を明日に控えた1,2年生のより気合のこもった声と太鼓の音が響き渡っていた。




明日はついに、人生最後の体育祭だ。
とはいっても、私は何にも参加しない。もともと女子が参加する競技というもの自体が限られているし、女子騎馬戦に出るはずだったのだがLASIKをやった目に万一のことがあると怖いので辞退した(今日までの2週間実習で眼科をまわっていたのだが、LASIKをやった隊員さんで演習中に小枝が目にあたり、角膜のフラップがべろりとむけてしまった人がいたと先生が話していた)。




明日はたぶんお昼くらいまで部屋でまったりし、お弁当が配られる時間になったらグラウンドに行ってお弁当をもらい、お弁当を食べながら応援団披露だけ見てまた部屋に帰る。んで体育祭が終わったら風呂に入って、飲み会(夜はグラウンドが宴会場に早変わり)に少し顔をだして風呂上がりのビールでも飲むのかな。





とくに最後の体育祭だからといってこれといって特別なことはしないと思う。なんか同期の男子は演舞をやるらしく毎晩練習してる。せっかく最後の体育祭なんだから、私もなにかすればよかったなとも思ったけど、もう遅いしまあいいや。





時のたつのってホントにはやいなあ・・・と、一生懸命練習する1,2年生を眺めながら思った。自分が1年生で2年生にしごかれながら練習したこと、2年生になって1年生をしごきながらひとつになって優勝したこと。いろいろ思い出された。もう4年もたったんだなあ。





話はかわるけど、もうそろそろ医師国家試験ってことで班で毎日勉強会をひらいているんだけど、小児の発達の範囲(4か月で首がすわる、7ヶ月でおすわりする、とか)がどうしても覚えられないよねって話をしてたときの馬鹿げた会話。






Aくん「自分に子供がいればたぶん常識的にわかるんだろうね」
私「Aくん子供作ればいいんじゃない?」
Aくん「いや、今作っても国試に間に合わないでしょ(苦笑)」






なんてことない会話だが、何気に国試まであと10か月もないってことを意味してる。ホントに時のたつのは早いもんだ。





明日の体育祭はこれといって特別なことはしないけど、たぶんそれなりに感慨深い体育祭になるんだろうなあ。

時代の流れ

昨日眼科の開業医のところへ研修に行った。
眼科は白内障手術やコンタクトなどでぼろ儲け出来るらしいと聞いていたが、それはもう昔の話だそうだ。
今は診療点数が減ってしまい、全然儲けにならないそうだ。むしろコンタクトをやってしまうと赤字が出てしまうのだそう。医者だって生きていかなければならないから経営戦略が重要となる。何十年も前からそうやって頑張ってきた販売業などの人に比べたら経験も浅いし、全然かなわないかもしれない。でもこれからは(というか今もうすでに)病院経営も販売店経営も全く同じ土俵だ。




今は「格差社会の是正」とかいうのが社会の美徳だ。
昔は医者というと接待が当たり前だったらしいし、誰も悪いこととも何とも思わなかった。命に関わる難しい病気を治してもらったりすると謝礼金の入った封筒を渡すのがならわしだった。今もその風潮が全くなくなったわけではないが、ほとんどそういう時代じゃなくなっている。むしろ結果が気に食わないと平気で訴えられる時代になった。




製薬会社の人がよくスーツ姿で病院付近に立っているのをみかける。医局の前とかにも立っていて、私たち学生にも律儀に頭を下げてくれる。医局で製薬会社の説明会があると、製薬会社の人はスライドで新薬とかの説明をするわけだが、たいていそこにボールペンやメモ帳などのお土産と、お弁当、お茶がついてくる。それも医局員の数以上にいっぱいもってくるので(あるいは先生が学生の人数分も換算して製薬会社に頼んでいるのかもしれないが)、学生もそのお弁当を食べることができる。
私が今まで食べたことのあるお弁当は焼き肉弁当や本物の味がする中トロとかウニも入ったにぎり寿司弁当、豪華なエビフライ弁当などなど。私たちにとって薬剤説明会のメインイベントは、このお弁当だ。




今日も眼科の医局でカンファレンスに出ていたら製薬会社の人が出たり入ったりしていた。そして大量のお弁当を持ってきた。カンファが終わって学生が帰るとき、お弁当をもらえた。箱自体が大きいし、あけてみてみると何とも豪華なお弁当。お刺身まで入っている。




あと10年もしたら、こうしたお弁当すら「接待は不潔!」とかいわれて食べられなくなっちゃうのかなあ。

限りある時間の中で

↑は時間と書いて「とき」と読みます。
そういうドラマだか歌のタイトルだかがあった気がする。



今、やりたいこと、やらなければいけないことに追われている。
追われているというと表現が悪いから言い直す。
あふれている。やりたいこととやるべきことに満ち溢れている。
一見すると充実した人生だ。



私は受験生のとき、なにがなんでも理三に受かるってノイローゼ状態だった。
風呂と食事とトイレと睡眠以外はずっと机に向かっていた。
そして思った。



「一日が24時間じゃ短すぎる」



今やりたいことというのは、
・クライミング(最近ジム行けてないし、外の岩場も行きたい)
・山(実技訓練も読書も、これからのトレーニング計画たてたり)
・部活(躰道。6月から新入部員も部活に参加するから、その前に体動かしておきたいし)
・HPとか(ブログは今書いてる)
・歌(弟のライブに出ないかと誘われてるし)
・自分の勉強(山じゃなくて、医学のね)
・班員の勉強計画(勉強会のこととか。一応班長だしね)
など。



ほんとはやりたいけどすでに無理で脱落していったものもある。乗馬とかボイトレとか。まあこの二つは時間っていうかお金が足りなかったのも多いにあるんですが・・・^-^;



で、上記にあげたうち一番やってないのは勉強です。適当に並べたけど、だいたい重きを置いているものから順に並んでいる気がする。上のほうにあるやつほどやってます。高3のときは勉強が一番っていうか勉強しかなかった。それでも一日24時間じゃ足りないって思いました。今は勉強はほとんどやってません。班員のために勉強会はひらくけど、ひらくだけです。自分は全然してない。そのほかのやりたいことがたくさんありすぎて・・・・





一日24時間じゃ、短いです(´・ω・`)





人生は戦略だね。いかに有効に時間を使えるかが勝敗の鍵だ!

extreme

実家で弟が繰り返し流していたceline dionのDVDを観た。
ラスベガスでショーをやっていた時の映像なのだが、2年前旅行でラスベガスを訪れた際もやっていたように思う。ラスベガスで何のショーを観ようか迷った時にこのセリーヌのコンサートはちょっと気になっていたのだが、結局そのときは違うホテルでマジックショーを観た。だが今思えばその時にこのコンサートを聞きに行っていればよかった。



今セリーヌは「Take Chances」というワールドツアーをやっていて、ついこの間日本に来た。日本では東京と大阪で公演をしたらしいのだが、私は東京ドームでやったライブを観に行った。セリーヌのライブははじめてだった。その感動は私のもっているちんけな語彙力じゃ表現しきれないというか、表現してはいけないというか、とにかく言葉より先に涙が出てきた。あんなにすごいコンサートは、あんなにすごい音は、あんなに凄い人は生まれてはじめてだった。こうしてライブを観に行ってしばらくしてからブログに書いたのも(ライブはたぶん3月だった)、ライブ直後は余韻から抜け切れず筆をとる気になれなかったからだ。




First Descentというドキュメンタリー映画があるのだが、プロモーション映像の一部を観たことがある。たぶんYouTubeとかでも見られると思う。簡単に言うとスノボーの神動画。アラスカの山の崖みたいなところをオリンピック金メダリストのショーン・ホワイト、ハンナ・テータはじめ6人の神ボーダーたちが大滑降するという映像で、内容はほとんどキチガイです。まあ、言葉は悪いですが、とにかくハンパなくすごいってことです。そして7601mのとんがりまくった山のてっぺんからスノボーの神テリエが初滑降するという。山とかだと、はじめてその頂を踏んだ人は日本語なら「初登」「第一登」、英語で「First Ascent」と呼ばれるんですが、その逆でFirst Descentというわけです。ほとんど崖みたいな斜面を滑りおりながら自分がおこした大雪崩に巻き込まれ、それでも滑降を続けて雪崩から抜け出してきて言った言葉が、
「超サイコー!★」ですよ。考えられますか。




全く違うジャンルの話をしたけれど、私が言いたかったことはひとつです。超一流の人は私たち凡人が死んでも観ることのできない世界を観ているんです。セリーヌのあんなにすばらしい舞台で演じることができたダンサー、演奏することができたバンドマンたちにはどんな世界が見えたのか、私たち凡人には想像すらつかない。セリーヌが見ている世界なんて死んでも見られないんです。そしてテリエたちのような超一流のスポーツ選手が見ている景色も、私たちがどんなに見たいと思っても叶わない夢なのです。
私たちにはまだ見ぬ世界がいっぱいあって、たぶん一生かかっても見切れないと思う。でもそういう意味の「未だ見ぬ世界」なら、旅行に行くとか何かすれば見ることはできるはず。
でも、どんな手段を講じても観ることのできない世界ってのもあるんですね。




私はそんなに高望みはしないけれど、自分にできる限りの最高の景色を見て死にたいと思う。

ニセ旅行者

この週末、母とソウルに行く予定だったがやめた。
韓国でソウルを中心として鳥インフルエンザが大流行しているというからだ。



私は大学の寮に住んでおり、埼玉の所沢に居る。
実家は東京で、大田区。神奈川との県境のところで羽田空港までは3駅ほどだ。
羽田空港はいままで国内線しかなかったが、現在はなぜか名前が東京国際空港となっている。
んで、国際線としては韓国に行く便だけが出ている。
今回の旅行も羽田発、金浦(ソウル)着の予定だった。実家からだと羽田空港は近くて便利なのだ。
羽田発の韓国行きは成田発のものより航空券もツアー料金も高い。でも成田だと実家から2時間近くかかる上、スカイライナーなどの交通費も考えると断然羽田だ。



そんなわけで予定がなくなった今週末だが、実家に帰ることにした。わたしは実家に帰る時、小さいスーツケース(キャリーバッグ?)を引いて帰る。とくに荷物がなくて空でも持っていく。その理由は実家からビールを持って帰るため
ビール以外にも、いろいろお土産を持って帰るので帰りは空のスーツケースがいっぱいになる。



今日もいつもどおり、空のスーツケースをがらがらさせて実家へと向かった。品川で京急線というのに乗り換えるのだが、「快特」というやつに乗ると少々やっかいだ。
昔はこの「快特」という電車は羽田空港方面へ行く便にはなかった。「普通」「急行」「特急」しかなくて、このどれもが蒲田駅から先羽田空港までは各駅にとまるので、その途中にあるうちの最寄駅にもちゃんととまる。だからどれに乗っても家に帰れた。
しかしここ10年で事態は一変し、羽田から国際線も出るようになって人の出入りが多くなると「快特」なるものがあらわれた。こいつは蒲田駅を出ると次の停車駅が終点羽田空港なので、うちの最寄駅をすっとばしていくという意味不明な電車。百害あって一利なしだ。
現にこいつの登場により、他の「特急」「急行」「普通」の本数が減ってしまったので、1本の電車を逃すことにより20分以上待たなければならないなんてことも起きるようになった。地元住民にとっては甚だ迷惑でしかないのが「快特」なのだ。



今日は品川についてみたら、次に来る電車が羽田空港行の「快特」で、その30分あとくらいに「急行」がくると表示されていた。蒲田駅で降りれば、違うところからくる普通電車の羽田空港行と接続できる可能性もあるので、とりあえず「快特」に乗って蒲田駅で乗り換えることにする。



スーツケースをがらがらさせながら「快特」に乗り込んだ。
イスに座って「全図解レスキューテクニック」の本の続きのページを繰る。
読みふける。
気がつくと、



蒲田駅に居てドアが閉まり、まさに発車せんとするところだった!!



あーあ・・。タイミング的に遅すぎた。なすすべもなく、私は羽田空港まで連れて行かれた。
うちの最寄駅をすさまじいスピードで通過していく「快特」。
あっという間に終点羽田空港駅に到着した。



大人しく下車して反対方面の電車に乗り換えることにする私。
電光掲示板をみると、次に発車するのは5分後くらいの「快特」



・・またお前かよ!!!



「特急」は10分後だ。
そして私と同じようにスーツケースをがらがらさせながら
空港ターミナルへと向かう乗客たち。
韓国行きはキャンセルになったのに、なぜ私は羽田空港に居るのか・・。
蒲田駅で「しまった!」と思った時は表情でもかなりリアクションしていたと思うが、それを見た人でも、私が蒲田駅で降りて途中駅にとまる電車に乗りたかったのだとは解釈しなかっただろう。
スーツケースを持って羽田空港行に乗っていて、目的地が羽田空港じゃない人は相当珍しいだろうから。



「全図解レスキューテクニック」を読みふけりながら、10分後の「特急」で無事実家に帰りました。

プロフィール

chippe

Author:chippe


肉好きchippeのブログへようこそ!
2006年10月 山歩きを始める。
2007年9月 クライミングを始める。
山岳同人「青鬼」所属。
「メラメラガールズ」所属。
国際認定山岳医。
「カリマーインターナショナル」アンバサダークライマー。
現在は無職、旅人。
旦那さんはpecoma。

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