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HBN

HiBaN(略してHBN)。
先週の金曜日からやっとHBN(非番)がもらえるようになりました。
しかしこの間は、2週間ぶりでいきなり自由を与えられ、何をどうしたらいいのか戸惑いました。
籠の中の鳥が、いざ籠から出てみたけど飛べなくなってた、みたいな感じでした。
とりあえずジムに行くには遅い時間だったし金曜日は東村山T-WALLが休みだったので、
部屋壁でトレしました。たちどころに筋肉痛になりました。
未だに部屋壁のpecoma課題の25手の10dができません。


そしてとりあえず、2週間ぶりにゆっくり湯船につかりました。
救急車のサイレンにもケータイの呼び出し音にもおびえなくていい、最後まで体洗えることが確定している安らかな日でした。


実は、一緒にまわっている研修医は私入れて全部で4人だったのですが、そのうちの一人が先々週あたり、突如失踪してしまいました。今は所在もわかって、正式に休暇をとって実家に帰ってます。その子がいなくなった当日はほんとに何が起こったかわかりませんでしたが、とにかく無事でよかったです。そして私たちは3人になりました。


3人になると、この間ブログに書いた「正・ヒラ・副・非番」というローテートが不可能になるので、あわよくば「正・副・ヒラ」の繰り返しで非番をもらえないという危機に直面してました。でも何とか交渉の末、非番はもらえることに。「正・副・非番」と、3日に一回負荷の重い「正」がまわってくるかわりに3日に一回「非番」がもらえることになりました。ということで、明日も非番です。


平日の非番はなるべく早く帰ってジムに行きたいなと思っとります。休日の非番はジムにも行きつつ部屋の掃除とかもします。とりあえず、なんとか人間の生活が送れそうな感じになってきました。


明日からいよいよ2月。今年が2月29日の無い年で本当によかったです。神様に感謝です。あと1ヶ月救急がんば!

救急の患者

「救命病棟24時」っていうドラマやってた気がする。
私も高校生か中学生のときに見てた気がする。大学生だったかな。
江口洋介とか松雪泰子とか松嶋菜々子とか出てたやつ。
あれは、確か大学病院が舞台だったから、3次救急だったのかな。研修医がいたりしたから大学病院だな。


救急指定病院には1次~3次まであって、私が今いるのも大学病院だから3次救急。
1次はほんとに軽傷の応急処置みたいなやつで、3次は一番重症な患者をみる。
それぞれ1~3次で分業してて、基本的に3次救急病院は3次(重症)の患者しかとらない。


で、3次救急にはどんな人が来るかというと・・。


「救命病棟24時」では感動的な内容が多かったように思うけど、
たぶん現実の3次救急の姿は描かれてなかったように思う。
うちの病院に来る患者はほとんど、下の2種類のどちらか。


・70歳以上の高齢者のCPA(心肺停止)。大抵助からないか、助かっても脳が死んでしまい意識が戻らない。家族は「積極的治療は望みません」って言って放置。
・自殺。首つり、腹刺し、薬物中毒、一酸化炭素中毒、飛び降りなど。


あとは、一番悲惨なのが全身熱傷。本人にとっても医療者にとっても地獄の日々がはじまる。
その他、患者さん本人は全く悪くないんだけど怪我させられたってパターンが少数。交通事故が多い。


私が2週間救急まわった中で受け持った患者さんは、
・78歳CPA。助かったけど植物状態。家族は放置。
・アルコール大量飲酒で死にかけ。危機は脱して元気になってきたものの、本人はアルコール辞める気なし。
・高齢者が世をはかなんで腹刺し。
・通勤途中トラックにまきこまれて左足切断。
・西友の駐車場からおっこちて頭蓋骨骨折。
・バイクにつっこまれて肺挫傷。
などなど。


救急の残り5週間で重症患者があたらないことを祈ります。

2週間

救急はじまって2週間たった。
はじめの1週間のときよりは、慣れた分ストレスも少なくなった気がする。
なにはともあれ、いろいろあったけど、なんとか明日から非番がもらえるらしい。
ということはもしかして、ジムにも行けるのではないか。
久しぶりのジムだ。うれしいなー。



今日は昼江川亭で油麺、夜伝家でつけ麺と油分大量摂取の日だった。
でもこれからまた飲みに行くらしい。どこまで肥えていく気なのか。


とりあえず今日学会発表が終わり、救急研修中の負荷が終わった。
あとはひたすら救急患者を診て、非番の日に登りまくれば救急が終わる。
救急がはじまったら心臓外科がはじまって、終わる。
そしたら本チャン、形成外科がはじまる。


ほら楽しいかんじ。


今受け持っている患者の中に、西友の駐車場から落ちて頭蓋骨骨折、クモ膜下出血、脳出血起してる人がいる。
西友の駐車場、どんだけ危険なんだよ。

救急研修中クライマー

救急+心臓外科

とりあえずこの3ヵ月間の目標は、


「クライマーでありつづけること」


だった。


これは実に妥当な目標と思えたが、今現在は完全にこの目標到達は不可である。


救急をまわるのは7週間。
そのうちはじめの2週間は、はやく仕事に慣れるために「非番」が1日もない。

救急では、当直時間帯(平日の17時以降と休日)に入ると、研修医はそれぞれ
「正直」「副直」「ヒラ」「非番」という4つの役(?)につく。
「正直」は救急患者さんにメインで対応して、もしその人が入院したら主治医となる。
「副直」は家族や救急隊に話を聞いて、患者の情報集めをする人。
「ヒラ」はもろもろの雑務をやる人。
そして「非番」は救急患者が来ても行かなくていい人。つまりフリー。

これが順番にまわってくるから、4日に1回非番、フリーの日がある。あるはずである。
しかし最初の2週間はこの「非番」がない。


つまり救急患者が来て呼ばれたら毎日行かないといけない。
それも麻酔科当直のように15分以内に行けばいいとか悠長な感じではない。
大抵は最大努力で早くいく。5分前後で駆けつけるのが原則である。


「正直」は病院から出られない。病院に泊まる。
ほかの人たちは家に帰っていいんだけど、呼ばれたら5分くらいで駆けつけないとならない。


なのでこの2週間は「クライマーでありつづけること」はほぼ不可能です。


毎日いつ呼ばれてもおかしくない状況とは。たとえば、お風呂で頭を洗っている時、その2分後に体も洗えるかどうかは判らない。このブログも、書いてみてはいるけど、書き終わってUPできるという保証はどこにもない。


そんな、ほんの数分先の予定も立てられない状態が2週間。


だから今までは時間さえあればまず登ることを優先してたけど、今は生活のほうを優先せざるを得ない状況だ。なので時間があったらまず風呂にはいり、ご飯を食べる。そして寝る。筋トレしてから風呂はいろ、って思っても、懸垂の1回目で呼ばれるかもしれない。そんなことを続けていたら、2週間お風呂に入れないで終わってしまう。


ということで、驚くべきことに救急がはじまってから(まだ4日しか経ってないけど)運動全くしてません。たぶん2週間はクライミングどころか運動自体がゼロになると思う。そしてそれは仕方のないことと思う。


2週間後からは「非番」が4日に1回まわってくるから4日に1回は登れる。仕事が早く終わればジムにも行けるかも。それまでの辛抱。この2週間は生粋の研修医だ!働くぞ!


って思うことにした。


でもこの間、患者さんのことで救急の教科書の「偶発性低体温症」のところを読んでたら、その次の項が凍傷についてで、その次の項が高所障害についてで、思わず面白くて関係無いとこ読みすすんでしまった。



やっぱクライマーはクライマーか。


ねむい

なんか再来週あたりに変な学会があるらしく、私はその学会で演者をやらないといけない。
ものすごくめんどくさい。
その口述原稿を作って事前に上の先生に見せなきゃならないらしいんだけど、
救急で毎日こんな時間に帰ってきて次の日も朝早いのに、学会の口述原稿とか作る気おきるわけがない。寝るにきまってる。


一昨日から救急を回り始めたんだけど、上の先生に罵倒され呆れられ、病棟のナースに馬鹿にされ教えてもらったりしながら日々(まだ3日目?)を過ごしている。俗に研修医はそういう立場だけど、研修医ってそんなに”できない”存在なのか。とわれながら考えてみる。


私は思う。慣れは最強だ、と。最初にまわった麻酔科も、今思い返せば最初の1週間はきつかった。右も左もわからないと何をするにも時間がかかるしストレスがかかる。でも1.5ヶ月経ってほとんどのことに慣れた後は、ほとんどのことを半ば”自動的に”やることができた。自動でことが進むのだから時間はかからないしストレスもない。


研修医は、この”慣れ”にことごとく至らせてもらえない立場なのだ。そして研修医が病院で立場ない感じなのはもっぱらそのせいなのではないか。


研修医は、今となっては”スーパーローテート方式”でなおさらだが、2年間でほとんど全ての科を回るようになっている。たった2年で全部の科だから当然ひとつひとつの期間が短くなる。私の場合ひとつ1.5~3ヵ月程度。やっと慣れたと思ったらまた違う科へ・・の繰り返しなのだ。これではいつまでたっても仕事に慣れないから効率があがるわけがない。私たちより3年はやく卒業して働きはじめている看護師にキャリアで勝てるわけがないのは当然のことだが、1年目の看護師にだって勝てるわけがない。だって1.5~3ヵ月以上のキャリアを積むことが不可能なのだから。


つまり我々研修医ができないのはいたって当然のこと。システムのせい。逆に言えばそれを馬鹿にするのはおかしなこと。だって自分より経験の浅いものより自分のほうがいろいろ出来るのは当たり前なのだ。。


まあ、そのせいで仕事が増えていらいらする気持ちはわかるけどね。


と、眠い目をこすって開き直ってみました。
明日からも堂々と馬鹿にされ頑張ります。

いった年きた年

新年あけましておめでとうございます!
今年もchippeブログと尾根の向こうをよろしくお願い致しますm(_ _)m



ということで、みんなが振り返ってるから私も2009年を振り返ってみよ。



1月~3月
ピーターパンシンドロームに悩まされていた。
"卒業"の二文字におびえながらも登り続ける日々。
医師国家試験をひかえていたので一応勉強もしてた。
平日17時までは勉強し、17時からジム、週末は外行ってた。
そして、12月からはじまった城ケ崎通いもいよいよ大詰め。
週に1つずつグレードをあげていき、卒業1週間前にエアーダンス(5.12a)をRPできた。
で、卒業しちゃった(涙)。


4月~5月
うちらは一応日本某A軍の幹部にならなきゃいけない立場なので、
大学卒業後、幹部になるための学校に強制入学させられる。
ということで一般の課程からしたらだいぶ短い2ヶ月間だけ、
九州は久留米にある強制収容施設、通称”カンコー”に行ってた。
自分の写真を後からみて男性と見間違ったほど髪を短く切り、毎日怒鳴られたり筋トレしたりの日々。
登る時間はほとんどなかったけど、rickyと一緒に日向神という岩場に通ってた。
とくに成果はなかったけどそれも楽しかった。
カンコーでは何故か体力検定で表彰され、高良山登山走で課程の歴代1位記録を樹立(笑)したけど
クライマーとしては弱弱だった(涙)。


6月~11月
ついに研修医生活がスタートした。
不安いっぱいのまま、渋谷の病院で研修スタート。
そしたら超ヒマで登りたい放題だということが分かって不安はふっとんだ。
渋谷に新しく出来たジムに行ってみたら仲間も出来てモチベーション更に↑↑。
都心近場のジム通いが続いたせいでボルダリングばかりの毎日となり、
ボルダーが断然楽しくなったし自信もついた。
そして外でもボルダー通いに。御嶽で忍者返し(1級)と戦う日々が続いた。
結局ボルダーは2級止まり。1級は落とせなかった(涙)。
そして半年間堪能したクライマー的研修生活も終わりを迎え、
渋谷の病院を追い出された(涙)。


12月
埼玉県所沢市の病院で研修スタート。
ここでは、世間一般の人が認識してるいわゆる”研修医”の生活が待ってる。
私もpecomaも渋谷と比べたら明らかに登る時間は減ったけど、
それでもまだ本格的に忙しい科ではなかったためぼちぼち登る。
安いアパートを借りて、広すぎるその一室にボルダー壁を設置する。
外では近場にある聖人岩でリード。年末は城山でリード。
雪山にも入った。


という感じで2009年はいってしまわれました。
それと共にやってきた2010年。
2010年も滑稽にもがき続けて未来を切り開いていこう。


2010年おおまかな計画。


1月~5月
たぶんすごい忙しい。
ほとんど登れないだろうけど、
部屋壁等駆使してなるべくクライミングから離れないように努力。


6月~11月
超登る。
俄然登る。
どこかの岩場に通ってフェイスのグレード更新する。
可能なら海外行きたい。
クラックで5.11台を目指す。


12月~
氷の世界に足を踏み入れる。
八ヶ岳でトレする。


すごくおおまかだけどこんな感じにしたい。
目下は年明け2週目から救急スタート、その後心臓外科と2連チャンでどぎついの来るのでそれを乗り切ります。
ただ乗りきるのではなく、クライマーであり続けたいです。
以上です。


あ、1/3は富士山の予定。
天気がよければね。

プロフィール

chippe

Author:chippe


肉好きchippeのブログへようこそ!
2006年10月 山歩きを始める。
2007年9月 クライミングを始める。
山岳同人「青鬼」所属。
「メラメラガールズ」所属。
国際認定山岳医。
「カリマーインターナショナル」アンバサダークライマー。
現在は無職、旅人。
旦那さんはpecoma。

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