2010/09/09
今日は25歳さいごの日です。
月日が流れるのって、はやいね。
ということで25歳を振り返ってみようかな。
25歳の
9月:
6月から研修医として働き始め、3ヶ月目。
平日週3~4でボルダージムに通ってた。
PEKIか恵比寿が中心。外岩でも御岳や小川山でボルダーに取り組んでた。
10月:
荻パンやロックランズに遠征しつつ、週4ペースでボルダー。
愛車TOKYOBIKE SPORT 9Sを買って渋谷の風になったのもこのとき。
11月:
週4ペースでジムボル。しかし、渋谷での半年の研修生活を終え、所沢への引っ越しの日が近づきつつあった。
それと同時にボルダーに打ち込んだ半年間にも幕を閉じ、紐モードへと移行していった。
12月:
所沢の病院で、ついに研修医生活最大の山場を迎えんとしていた。心は不安でいっぱい。
この頃はまだ麻酔科だったが、仕事終わりが遅く、ジムは週1~2で東村山T-WALLに行っていた。
週末は奥多摩の聖人岩に行って11台とかを登ってた。
大さんジムPROJECTがオープンし、オープン日の翌日に行った。大さんと握手した。4/5級課題にことごとく跳ね返された。
1月:
冬休みは城山に行ったり富士山に登ったりして最期(笑)の時を満喫した。
そしてついに、救急部での研修がはじまった!
尾根の向こうのカレンダーを見ると一目でその悲惨さがわかる(笑)。
ジムは週0~1(笑)。
部屋壁が活躍した時期でもあったが、疲れすぎてそんな気すら起きない状態だった。
クライマーではなく、完全に医者だったという貴重な期間(笑)。
2月:
上に同じ(笑)。
ジムは週0~1。
週末もどこにも行ってない(笑)。
救急患者が来た時のメールの着信音にしていた音は、今聞いてもぞっとするトラウマな音。
あ~やだ二度と戻りたくないwww
3月:
救急部の研修が終わったが、それはつまり第二外科(心臓血管外科と呼吸器外科。研修医生活最大の山場)の研修がはじまることを意味していた。
ジムはなんと、月1!!!!wwww
週末もどこにも行けないので、航空公園にある岩を「ボルダー!!」とかいってはしゃいで登ったりしていた。
本当に患者さんのためだけに生きていた。
昼も夜もなく、平日も休日もなく、すべての人生を患者さんにささげていた。
たまに回診のとき秩父の山々の稜線をながめ、「ああ・・きれいだな」って思っていた。
ジョシュアで登ってるとかいうヒロの話が同じ現実とは思えなかった(笑)。
ナースからひっきりなしにかかってくる電話の着信音にしていた音は、今聞いてもぞっとするトラウマな音(笑)。
そして、麻酔科まわってるときさんざん太い太い言われた前腕はみるみる細くなっていった。
4月:
最大の山場の心臓外科が終わり、呼吸器外科に移った。
それでも平日は忙しいし休日も自由にならないので外岩は月1回、ジムは週0~1をキープしていた。
5月:
研修医生活の山場終了!!!!
ついに解放されてクライマーに戻った。
しかし腕は女性と見紛うほどの細さ、体幹筋もいずこへ。
ジムでも外でも超弱かった。
まずは、ボルダーでは渋谷にいたころまで、リードでは学生のころまでに戻す、ということを目標に頑張った。
一気にジム週4へ(笑)。
GWには小川山にも行った。
6月:
週3ペースでジム。
復帰後の腕試しとして、またなまりきった体を鍛える目標として定めたコンペ出場。ロッククラフト川越で開催されたコバトンカップに出場した。リハ開始1ヶ月としてはまずまずの成果だった。
7月:
入間にユージさんジムBaseCampがOPEN!
会員番号7番をGETしてBC通いがスタートした。
週3ジムの、休日は毎週小川山。
スラブを中心に、この1カ月で花崗岩にかなり慣れた。
8月:
ジムは週3。
夏休みまさかの9連休をもらえることになっちゃったので、後立山連峰縦走をやることに決め、その計画にあけくれてた。そしてついに計画実行!人生のベストいくつかに入る大冒険となった。
しかし疲労のほうも人生ベスト1のレベルで、回復に約3週間もかかった。
その間はジム行ってもだめ、ランニングもだめ、ウォーキングすらだめ、ひたすら休むしかないという重体だった(笑)。
9月:
なんとかP2BCUPに調整して、コンペ。
結果は思わしくなかったがモチはウナギ登りで、今に至る。
26歳の目標は明日かきます☆