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これからのこと

明日、仙台から埼玉へ異動だ。


仙台で過ごした2年間は実に様々なことがあったが、私の人生に大きな影響を及ぼした出来事もあり、正に人生の転機ともいえる印象的な地となった。


私はこの9ヶ月ほどの間、出来る範囲で少しずつ、ある出来事の「記録」を綴ってきた。
そしてその作業を通じてある人の死の理由を探ってきた。
その作業は自分にとって辛いものだったが、この8月からは仕事も忙しくなる事を考えると、時間のあるうちに出来るだけ掘り起こして、ちゃんと記録に残しておかなければならないと思っていた。
本当はなるべく記憶が新鮮なうちがいいので半年以内にと思っていたが叶わなかった。
その作業は予想以上に苦しく、それゆえ予想以上にはかどらないものだった。


私は、人間が忘れる生き物だということを知っている。時間が経てば経つほどに本当の記憶は薄れ、想像力によって真実は捻じ曲げられ、真相は永久に謎のままになってしまう。

それは、あの出来事によって欠けてしまった私の一部が永遠に戻らないことと同義のように思えた。
無論、私が元通り全くの無傷の状態に戻れるのかは分からない。
同じ経験をした人の発言などを参考にすれば、何もなかった頃に戻る事は難しいのかも知れない。
私があと何年生きるか分からないが、もし70で死ぬのだとしても、まだ後40年以上も楽になることは出来ないのかも知れないと思うと気が重い。
だが、その苦しみを忘れることによって、無かったことにする事によって解決するのだけは避けたかった。
だから悲しい記憶を辿りながら、私はある出来事と、ある人との過去の思い出を綴ってきた。


その私の大切な人は、自殺した。
その時の私にとって、その事件は余りに唐突に思えたし信じ難い出来事だった。
本当は自殺ではなく、自殺に見せかけた他殺なのではないか。
そんな風に疑ってしまうほど、起きる筈の無い事件だった。


だが、9ヶ月に渡る真実を求める作業によって、それはやはり予測出来た事、充分に防ぎ得た事なのではないかという思いが強くなった。
特に私は医者であり、専門ではないが多少なりとも精神科疾患に対する知識がある。
現に私は当時から薄々感づいていた。
特に診断されたり治療を受けたりしていたわけではなかったが、その人には他の人と比較して自殺の可能性が高い資質があったのではないか。
そんな人が追い詰められている状況で、私が行った行為のなんと冷酷なことだったろう。
私が殺したのだ。
その人の死の瞬間からあったその思いは日増しに強くなっていった。


自殺者はその9割が何らかの精神疾患を持っているという。鬱病や統合失調症などであればその疾患そのものの症状として自殺が起こるケースが多いし、パーソナリティ障害を持つ患者では「トライがたまたま成功してしまって」亡くなるケースが多い。
そして遺された者もまた様々な感情を抱く。精神疾患を発症してしまう人も少なくない。ものの本を読めば大抵の事は書いてある。
私は無知過ぎたのだ。


日本では年間3万人程度が自殺によって亡くなっている。
自殺を予防する様々な取り組み、呼びかけもなされている。余り自分に縁が無いこととして実感が湧かない人が多いだろう。だが今私はそういったポスターを見る度にとても沢山の、見えていなかった現実を知る。
もう遅すぎるのだけれど。
今回思い知ったことは、「この世に起きない事などない。何でも起きる」ということ。そして「死んだら何もなくなる」という2つの事だ。
特に2つ目の事実は一時期、私の全てを覆い尽くしてしまって、生きてやっていることの何もかもに意味が無いのではないかと思わせるほどの空虚感を与えた。思い出は残っているけれど、そもそもこれからのために思い出はある。それなのにその人にはもう「これから」が無い。まるで始めから何も無かったかのような残酷さだ。そうしてその人が残したものに触れる度に空虚感と絶望を感じた。それは多分、生きている者が感じてはならない感情だった。


周りのとても沢山の人たちのおかげで私は今普通に日常生活が送れている。だが、今の段階では私は2つに分かれている。1つはその人を思ってただ嘆き悲しむだけの自分、もう1つは今まで通り生活する自分。
幸いなことに、山や日常生活の中にその人の面影は少なかった。だからその人のことを思いさえしなければ、山に行ったり普段の仕事をこなしたりする事は出来た。でもその2つが共存することは難しい。それでは何も手につかず、忙しい毎日を過ごす事が出来ない。生きている人間は生きて行かなければならないのだ。


そしてその反応は正常な反応であるらしい。私自身、自分が2つに分かれていることが不安で、職場のカウンセラーに話を聞いてもらったことがある。皆、大きなショックを体験した人は少しずつ時間をかけてその事実を受け入れるものであり、事実が受け入れられない、または受け入れられない自分とそれを忘れて日常を送る自分とが別に存在することは仕方ない。ごく自然の反応であると。だから私がおかしくなっている訳では無いらしい。それが分かっただけでひと安心だった。でも、そのカウンセラーの所に行ったのはその一度きりで、再び訪れることはなかった。カウンセラーの方が私の話に余りに衝撃を受けていたので、これ以上この人と話しても何も得られないだろうと思ったからだ。


近親者の自殺を経験したひとはその多くが「自責」を感じるそうだ。
つまり「自分が殺した」と思ってしまう。
でもきっと故人はそんな風に考えることを望んでいないし、私を救ってくれた多くの人もそれを悲しむはずだ。
それに、そんな風に自分を責めるのは実は楽な行為で、褒められたものではない。生きている人間はもっとしっかりと生きて行かなければならないのだと思う。苦しくてもそれが使命なのだと思う。


色々調べていて知ったのだが、皮肉にもWHOが定めた「世界自殺予防デー」は9月10日、その人がお腹を痛めて産んだ、私の誕生日と同じだった。
今その人の心安らかで、手帳の中の写真と同じとびきりの笑顔で笑っていることを願う。

クライミング中の事故~私の事例

最近、フリーの岩場での事故が相次いでいます。
こうした事故報告を共有し、事故原因について考察することはクライマーとしてとても重要な事だと思います。


実は私自身も、JFAのニュースに取り上げられるか、最悪今この世に居なかった可能性もあるような、ほぼアクシデントなインシデントを起こした経験があります。


これだけブログやらHPやらをやっておきながら、今振り返ってみて全然記録が無いので、自分自身としても恥ずかしく消し去りたい過去だったのかも知れません。
でも「こんなこともある」という一例としてみなさんのお役に立てたらと思い、自分のためにもリマインドすることにしました。


前後の記録を見返してみて、たぶんインシデントを起こしたのはこの日。
2008年10月25日 小川山 妹岩。
クライミングをはじめてから1年後。
クラックをはじめて半年後の出来事でした。


龍の子太郎(5.9)をアップで2Pつなげて登った。


P1120041.jpg


登った後1P懸垂下降し、1P目の終了点についた。


CIMG2088.jpg

1p目の終了点は写真に写っている2本の木のうち、上の木(青矢印)のところ。1枚目の写真の赤矢印の木とこの写真の赤矢印の木は同じもの。



しかし、ロープを引いている最中に末端の結び目をほどいていなかったことに気がつく。
すでに結び目は手の届かない高さ(5mくらい上)に上がってしまっていた。
仕方なくロープの途中にエイトノットを作ってロックカラビナでビレイループにつなぎ、そのロープでリードして結び目まで行くことにした。
ペコマにビレイしてもらい結び目まで行き、結び目をほどいた。
そしてどうにかして(たぶんカムエイドで?)1p目の終了点までクライムダウンした。


zu.png
図のロープは分かりやすいよう色分けしてあるが、本来は1本のロープ(おそらく50mロープだった。懸垂で2P一気に降りることは不可能だったので1Pずつ降りた)。


今、図の緑ロープの末端の結び目はほどけたので、1P目の終了点にセルフをとり、再びロープを引き抜いた。
そして、自分のビレイループとつながっているロープでそのままロワーダウンすることにした。


この時、あろうことか誤って緑ロープを1P目終了点にクリップしたのだ。
(ちなみに1P目終了点は有る程度安定して立てる場所であり、この時点で終了点に荷重はかかっていない)


そして、下でビレイしていたペコマに「テンション!」とコール
→1P目終了点を通って自分と接続されているロープにぐっ、とテンションがかかったのを感じた。
→セルフビレイをはずした
→完全にロープに体重を預けた。


この後何が起こったかはお分かりだろう。
私はフリーフォールした。


「えっ?・・・えっ??」


とわけもわからず、1秒後には何と、写真の赤矢印の木にひっかかって止まっていた・・・!


こうして奇跡的にほぼ無傷で生還することが出来ましたが、起こった事は余りに恐ろしいことでした。
私はこの時のフリーフォールの感触がいまだに忘れられない。
そして自分の余りの愚かしさと、「死」が余りに身近に迫っていたという事実の恐ろしさにショックを受けて数日間立ち直れませんでした。


今でも覚えているのですが、まず1P目の終了点からロープ末端をほどきに行こうと決めた時、

「いつもと違うことが起こっているので、何かミスをする可能性が高い。だからまずは落ち着こう。そして色々と慎重に行動しよう」

と自分に言い聞かせていました。
ロープの途中に結び目を作っているのでロープが折り返されていて間違え易いということも分かっていました。

それなのにクリップするロープを間違えました。

かつ、テンションがかかるはずのないロープに、何だかテンションがかかったような感触を感じたのも覚えています。
そして、そのロープに完全にテンションを移す前にセルフビレイを外してしまった。
うろ覚えですが、たぶんセルフが短く、テラスも安定していたのでロープに完全にテンションを移すのが少々やりにくい状況だったのかも知れません。


この写真を見る限り、赤矢印の木にひっかかる確率は相当低いと思うし、もし落ちていたら助からなかった?(下地は悪いし10m以上の高さがある)
本当に運が良かったとしか言いようがないです。


これ以降私はダブルチェック以外に自分で何回もチェックする癖がつきました。
あと、ルート上にある木にはやたらとロープやらギアやらが引っ掛かって煩わしいですが、この「木には物が引っ掛かりやすい」という性質故命が救われたので、余りその性質に文句を言わなくなりましたw


皆さんはこんな愚かしい事しないと思いますが、実際に起こった一つの事例として考える機会になれば幸いです。

もうすぐ異動

6月はじめに小川山行ってから長いこと更新が止まってしまった。


これまでの小川山通いもその一環だったのだが、9月にヨセミテに行くことが本決りになったので
今は専らその準備のためだけにひたすら毎週末を過ごしている感じ。
エルキャピタンのThe Noseをペコマとtakaくんと3人で登ることになった。
目標2泊3日。
フリーのクラック技術もそうだけど、エイド・ユマール・荷あげ・振り子トラバースなどビッグウォールに必要な様々な技術の練度を高め、一連のスムーズな流れを止めることなくひたすら高度をあげ続けられるよう鍛錬しなければならない。
「個」の能力は勿論のこと、チーム力が絶対的に重要だ。


ノーズのトポは今まで見たことが無い位長い。
全34ピッチ。3人で1日10ピッチずつくらい、連日登り続ける。
テラスで寝て、夜があけたらまた夜がふけるまで1日中クライミング。
1000mの大岩壁で繰り広げられるクライミングがどんなものなのか、私はまだ写真や映像でしか見たことないけど、ついに自分の目でその景色を見に行ける事になった。
やっとここまで来たんだなあ、という感じだ。


そういうわけだから今シーズンは全然沢に行けない。
1にヨセミテ2にヨセミテ、3、4もヨセミテ5もヨセミテ!
去年はヨセミテ準備期間に沢で膝を故障したたため全然登れず、現地でも当然のように何もできなかった。
ていうかクライミングじゃなくただの旅行者として始めてヨセミテ行った時も膝壊してて、ろくにトレッキングもできなかった記憶がある。
何だかヨセミテには苦い思い出(しかも膝系)の多い私だ。


そう思い返すと、今回は違う。
まず、クラック技術に対する自信が去年とは全然違う。
怪我もしてないからしっかりトレーニング出来ている。
何をやるか、明確なビジョンが出来上がってる。
だから楽しみ過ぎて、たまらない。


3人でヨセミテトークしてる時間は最高だ。
焚き火を囲んでると尚良い。
どのピッチをリードするかも大体決めた。
何と私はかの有名なグレートルーフ、そしてチェンジングコーナーという二大ハイライトをリードできることになった!
極小ナッツでのシビアなエイド。
というわけで、白髪鬼をエイドしに湯川に行きたい今日この頃です。。


そして再来週はその練習の一環と言うには余りある、兼ねてから行きたいと思っていた"日本のヨセミテ"に3人で行くことになった。甲斐駒のスーパー赤蜘蛛だ!


70mロープが無いから多分レッジトゥレッジは無理だけど・・・とにかく激しくわくわくさん。
テンションうなぎ。
最近うなぎの価格が高騰してるらしいけど、こっちのテンション高騰っぷりはハンパじゃない!


Let's climb El Cap !!!

プロフィール

chippe

Author:chippe


肉好きchippeのブログへようこそ!
2006年10月 山歩きを始める。
2007年9月 クライミングを始める。
山岳同人「青鬼」所属。
「メラメラガールズ」所属。
国際認定山岳医。
「カリマーインターナショナル」アンバサダークライマー。
現在は無職、旅人。
旦那さんはpecoma。

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