2014/06/28
フラワーコラージュセラピー
今日、フラワーコラージュセラピーなるものを受けた。なんとなくの希望を伝えて、それをもとに用意されたプリザーブドフラワーを使い、簡単なモチーフを作るというものだ。

ビフォー。
赤、白、水色、紫のバラと緑のアジサイ、葉っぱのついた枝のプリザーブドフラワーに、造花のモチーフが少々、白い羽。

グルーガンで白いフォトフレームに自由につけていく。グルーガン初めて使った。
バラの花びらをむしってみたり、あじさいを分解したり、色々好き勝手に遊ぶ。
思っていた以上に凄く楽しくて1時間半あっという間に過ぎてしまった。

アフター。

アフター。たててみた。
数年前、ある出来事があってから、私の人生は大きく変わってしまった。幸い私には気の合うダンナ、気の合う仲間たちと山、クライミングがあったので立ち直れた。でも、一見今まで通りに見えて、私は少し違う人間になってしまった。人は様々な経験を経て徐々に変化を遂げて行く。それは成長とも言い換えることが出来るしごく当たり前のことだ。もちろん悪いことではない。だけど今回の変化はちょっと違った。私は何かが歪んだままになってしまっていることに気付きながらも、日々は今まで通り過ぎていくからやり過ごすしかなく、不安だった。仙台にいる時、一度だけ職場のカウンセラーを利用したことがあった。だがカウンセラーは私の話に圧倒され過ぎていて、この人からは何も得られないと思ってから、そのままになっていた。
1年が過ぎ、埼玉に戻ってきてからやっぱり何かした方がいいのではないかと漠然と思っていた私は、インターネットを利用して通えそうな場所にカウンセリングクリニックを見つけた。女性臨床心理士が女性限定でひらいている小さなクリニックで、何回か通ったがとてもいい感じである。そして今日ははじめてのフラワーコラージュセラピーの日だった。
私は中高のころ、制作が好きだった。それは日々の何気ないもやもやを落ち着かせるための手段だった。"言霊"の存在を強く信じている私にとって、マイナスの言葉を口から発することはすごく嫌だった。それを言う方も聞く方も言葉の持つマイナスのパワーで不幸になるし、本来美しくあるべき「悲しみ」が「汚れちまう」気がしたからだ。だからつらい事があったら誰かに愚痴って発散するのではなく、詩を書いて昇華していた。満足のいく作品ができればすっきりして、なかなか書けない時はストレスがたまった。
それが今回、ある大きな人生の転機にぶちあたって、私ははじめて「人と話す」ことの大切さを痛感した。普段あまり話さないような人とも、とにかくものすごくたくさん話をした。それによって心が救われた部分はとても大きかった。だから今、私は人と話す事を必要としていた。そしてカウンセラーとの有意義な時間を得て、徐々に何かがほぐれていくのを感じている。
それにしてもクライミングは偉大だ。私は悲しい出来事があった日の直後はただ息をすることの意味にも疑問を抱いていた。いわんや、何かを追い求めて自分を磨き、日々もがき続けること、をや。
それは生きている人間が決して感じてはならない感情だということも、一方で理解していた。だからそのほぼ1週間後くらいには、ペコマに無理矢理連れられるようにしてジムに行った。自分がどうなってしまうか不安だったが、その不安は一瞬で払拭された。私は今まで通りジム仲間と笑い、課題を作り、むきになって登った。
クライミングって、ホント楽しいよなあ。
私には大好きな山があって、周りには大好きな人が沢山いて、こんなに幸せなことはない。だから悲しみは消えなくても、前を向き続けることはできるんだと思います。その方法を今必死に模索しています。
そんな幸せ者の私は、今日これから大好きな人たちと大好きな焼肉!
嬉しいな。

使わなかったアイテムを持ち帰って馨和のインテリア作成☆