2019/08/20
2019/08/09 アルパマヨ 登山記録 〜HCまでの長い1日〜 ペルー旅行記その6 〜 09/08/2019 El día muy largo a Campo Alto Alpamayo
8/9、4時半起床。ペコマとの定時交信開始。これから先の天気は快晴、風も弱く全く問題ない。6時過ぎにはテントを出て撤収を開始した。
すると、下から「ちっぺさ〜〜ん!」と。私を呼ぶ声がする。

なんとすぐ下のサイトに張っていた2張りはYさんたちだったのだ。全然気づかなかった(笑)。
「モレーンに泊まったんですねー!」
「またあとでー!」
と言葉を交わす。
はじめはガレ場歩き。昨日荷揚げの帰りに、ある程度歩きやすい道を探してケルンを積んでいた。それでも氷河の取り付きの手前はどうしても浮き石だらけのところを通過する羽目になった。
昨日より軽い荷物で軽快に10時前、デポ地を通過。

雪に埋まってロストしたりするはずもない安心のデポ(笑)だ。
デポを通り過ぎ、急登を超えるとついに壁が現れた。近づいてみれば何のことはない、弱点となる"通り道"がちゃんとある。ここでハーネスをつけ、ギアの準備をはじめた。

するとすぐ、WilderとYさんたちが追いついて来た。

Yさん撮影!

雪壁を少し登ると、氷壁の下に2畳ほどの快適なテラスがあった。

HCから下山してくる人たちが懸垂をしていて、まだ少し待たなければ登れなさそうだ。時間が勿体無いので、私は荷物をここに置き、空身でデポの回収に向かった。

コチラもYさん撮影!
デポを拾って戻ってくると、降りてくる人はもう居なくなっていたものの、後続が2、3パーティ迫って来ていた。

今日の核心に備えて腹ごしらえ。食べきれなかった朝ごはんの残りの・・ゆかりご飯(泣)。
まず、軽い方の荷物を担いでフリーソロ。スノーバーの残置にロープをFIXして懸垂下降し、もう一つの荷物を持って再度登る。息が上がる。他パーティと混戦の形となった。

ここから上は、60mほどの雪壁をよじ登る。まずは1つ目を担いで登る。標高5300mを超え、非常に息が上がって辛い。

登り切るとここにも懸垂支点があったので、下りは懸垂で降りる。1P目の終了点にちょうど降りられるような設計になっていて有難い。
2つ目を担いでまた登る。息が切れて全然スピードが上がらない。

ラストのパートは、1P目より簡単そうだが、出だしのベルクシュルントが切れている。トレースはあって踏み固められていて、きっと絶対崩れないんだろうという1足分ごとの足場はあるが、すぐ下、すぐ左を見ればぽっかりと大きな空間が口を開けて待っている。
まあ、時間が差し迫っているわけでもないし、念のため始めだけ確保しよう。
スノーバーで支点を作り、登り始めた。この間にまたポーター風のペアが追いついて来て先へ行った。70-80度くらいの傾斜の雪壁がほぼ60m分くらい続いた。そしてついに、人の声が聞こえ、傾斜が緩くなる箇所が見えてきた。着いた・・!

アルパマヨ南西壁。写真で見たのと同じ、でもその何十倍も美しい。しかしすでに身体は異様なまでの疲労にぐったりしている。
と、Yさんが「お疲れ様でーす!」と声をかけてくれた。「何か手伝えることあったら言ってください!」と、有難い言葉だ。
この最後のピッチは真っ直ぐだし、比較的傾斜もあるので、2つ目の荷物は細引きでホーリングしてみることにした。さっそく、マイトラにセットして引っ張ると、ところどころ引っかかったりしつつも順調に上がってきてくれる。

しかし、このホーリングも大変に息が切れた。3回くらい、その場にひっくり返ってしばし呼吸を整えた。どうせ下の支点を回収にもう一度降りなければならないのだ。担いで登り返しとどっちが楽だったのだろう。と思ってしまうほど疲れた。
流石に、最後の登り返しは空身だったから楽だった。
そうして全ての作業が終わりHCに到達するころにはもう15時を回っていた。
Yさんが「整地しときました!」と、嬉しい言葉!
正直、そのまま20分くらい座り込んで休憩しないと、荷物を担いでサイトを探すことすら出来ない状態だった。ひとまず空身で整地してくれたという場所に移動したら、Yさんが荷物を運んできてくれた。そのたった数メートルが、今は本当に有り難いのだ(笑)。
今朝合わせてきた高度計は5546mを表示している。

ハイシーズンでなくてもこの賑わい!
標高5500mともなれば、高所衰退がはじまって然るべき高度だ。今日という日がこんなにもハードな1日になるとは正直予想していなかった。やはり順化が不十分なことも影響してくるのだろう。
非常に緩慢な動作で、テントの設営に取り掛かった。Yさんたちパーティのお隣さんだ。Yさんのほうがせっせと作業をしてくれていて申し訳ない。
テントがたったら、シェフがお茶を振舞ってくれた。飲み水はもう尽きていた。これからは今までのテンバと違い、雪を溶かしての水作りからはじめなければ水を飲むことは出来ない。そんな状況にあって「お茶をくれる」ということは、とても大きな意味のあることなのだ。この1杯、2杯のお茶(しかも砂糖入り)がどれほど身に染みたか分からない。

その後テルモスにお湯までくれて、本当に至れり尽せりだった。
16時半ころになってやっと少し落ち着いた。さっそく、カメラと双眼鏡を持って壁のよく見える場所まで移動した。

流石ともいえる、非の打ち所のない容姿。でも、"世界一美しい"と称されたのは北壁側らしいけどね。

French Directルート取り付き、ベルクシュルントこえのところ。こんなの超えるのか。ここが核心になりそう。

あとはひたすら、アイスフルートと呼ばれるヒダとヒダの間を直上していく。ずっと同じ傾斜が続いている。分かってはいたがこれが400m。ふくらはぎどパンプ系だ。

上部はわりと岩が出ているようす。

最上部がよく分からない。たぶんルートはここからは見えない角度になっていると思われる。
トップアウトして終わりではなく、最後に山頂を形成しているマッシュルームの塊に登るという作業がある。遠景の写真では、どれも山頂の左に抜けるようなラインが示してあった。しかし、ここからではどんな感じになるのかよく分からない。行ってみて、だな。
さて。明日は何時に出るか。セオリー通りなら1時ころ出発だ。
Wilderも深夜に起きて1時かそこらに出ると言う。
フレンチパーティにも話を聞いてみた。やはり彼らもそのくらいで考えているようだ。

コチラはキタラフ。アルパマヨと比べるのは間違いだが、それにしても特にこれといった特徴もなく、見栄えしない。
否、充分美しいのだけれども。
HCはこのキタラフとアルパマヨの間のコルにある。はじめは順化のためこれに登ろうと思っていた。
結局、フレンチパーティが2人と3人の2パーティあり、YさんWilderペアがいて、私がいて、他にももう1パーティ、現地ガイドと外国人のパーティがいて。明日のアタック隊はそれなりの人数になりそうだった。
出発をみんなより遅らせることはしたくない。ルート上部には巨大マッシュルームがいくつもそそり立っているし、取り付きへ向かうトレースのど真ん中に巨大なデブリ帯もある。それにそもそもソロだから時間がかかる。しかし、だからと言って、1時間や2時間前倒しにするのも辛い。この疲労度合いで、回復出来るかも不安だ。
結局、同じような時間帯に出発するしかないだろう。
そう結論づけて、23時45分と0時に目覚ましをセットした。この時間に起きて出られる時間に出ればいいや。
行動食は、やはり今日の分の1/3くらいしか消費できていなかった。
夜ご飯。今夜はとっておいた、チキン何ちゃら系の味のあるα米だ。お湯を多めにしてスープみたいにして流し込んだ。行動食の残りも食べて、今日の分の1/2くらいまでは胃に詰め込んだ。最後にミルクティーも飲むつもりだったけどもうそれ以上胃に入れられなかった。胃腸機能が確実に落ちている・・高度障害と言っていいだろう。

気を抜くとすぐ70台にまで落ち込む。
夕食後にAZAを250mg内服。ちなみに、私は緑内障の診断を受けている(AZAが必要になるほど重症ではないが)ので、コレを飲むことは悪いことではないはずだ(笑)。
ただ、利尿作用のせいで脱水にならないよう気をつけなければならない。それに明日は壁の中で長い1日。トイレが近くなると地獄だから、朝は飲むのをやめよう。
寒くてリアクターをがんがん焚いて、それでも深夜は少し震えながら浅い眠りを貪った。
明日はどんな1日になるのかな・・・。
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