2019/08/21
2019/08/10 アルパマヨ 登山記録 〜Summit Day 〜2019 ペルー旅行記その7 〜 10/08/2019 Cumbre del Alpamayo 5947m
Summit Day23:45に目覚ましをかけていたけれど、寒くて寝ていられなかった。23:30には起き出した。
夜間もAZAのせいかトイレに行きすぎだった。そのおかげか否か、高度障害は出ていない。たぶん多少無理のある今回の行程を考えれば、それだけで充分過ぎる位だ。
スープご飯とミルクティーの朝食を済ませてペコマから天気情報を聞き(快晴ほぼ無風!)、1:17頃歩き始めた。
背中のザックには細引き60mと60mダブルロープ1本、スクリュー5本、テルモス1L。ここまでの残置の感じからスノーバーは1本に減らした。でも懸垂回収でトラブったりすると嫌だから、捨て縄は持ってきた8本、全部持った。バーは5本、1000kcal。
それ以外のギアは全て腰についてるし、アイゼンもつけちゃってるし、これまでと比べるとだいぶ軽く感じる。昨日の疲労もそれほど残っていない様だ。
寒くてビレイジャケットは脱げないけれど、動き続けていればなんとかなりそうだ。
で結局、自撮り棒はテントに残置・・(笑)。
BCは下から見れば、巨大アイスフォールの上にちょこんと広がっている平らな雪原だ。昨日、ルート取り付きへと下る降り口は確認してあった。
Wilderたちはもう出た様子。となりのパーティはテントの外に集合しているがまだ準備中と見える。
アプローチで遠くから見ていたデブリ帯を通過したとき、デブリの巨大さにたじろいだ。右上の斜面が崩れてここまで流れてきた跡だ。暗いからより恐ろしく見えるのだろう。足早に通過した。怖い怖い。
取り付きに近づくにつれ、Wilder/Yさんペアとの距離も縮まり、後続も迫ってきた。最後は固く締まった急な雪壁の登り。やはり息がきれてペースが落ちた。

取り付きには3、4人が立てるほどのスペースがあったが、そこにWilder、Yさん、私の順番で滑り込んだ。後続はその下の雪壁に支点を作って待つことになった。

後続のガイドはかなり煽ってくる感がある。先頭の2人が出たあとに出るのがいいか。それともロープを出さないなら、Yさんが出る前に出てしまったほうが良いのか?
様子を見つつ、Wilderのリード開始後少しして、登り始めることにした。
やはり遠くから見たベルクシュルントのところは壁と離れていた。取り付く先の壁は部分的にしっかりした氷壁。アックスをきめたらそちらへ軽く飛び移る形になる。アックスはバチ効き。でも足元は奈落の底。スクリューをきめて、ワンポイント死なない程度の確保を試みた。
その間にYさんがフォローを開始した。待たせてしまっている。やはりYさんの後の方が良かったか・・。
核心と思われるそのパートを抜けると、はるか遠く暗闇へと続く雪壁があらわれた。ひたすらダブルアックス。途中、残置スノーバーでYさんをビレイ中のWilderの横を通り過ぎた。しばし休憩したかったけどスペースもないし、そのまま通過する。

“¿Cómo estás? だったか、”How are you?”だったか忘れたけど、Wilderが声をかけてくる。"Very good.”とかなんとか朝の挨拶を交わして通り過ぎた。
息が上がらないペースで登っているが、ふくらはぎの乳酸感が強い。やはりSpO2は低いのだろう。だが、昨日までの感覚からすれば、硬雪にスノーバーを打ち込んで支点を作るだけでも一苦労。このままたぶん60m上にはあるであろう残置まで行ってしまった方が楽なのは明らかだ。
と、ほどなくして猛烈な勢いでWilderが上がってきた。くそー、さすが速いな、と悔し紛れに関心する。
まあ現地ガイドと速さを競い合っても仕方ない。そこにありがたくスノーバーの残置があったのでしばしレストすることにする。

すると「そこで止まって」と彼が言っている。「ああ、大丈夫。ちょっと休みたかったからここで止まる」と言うと、私を追い越しざまに、珍しく息切れした途切れ途切れの感じで彼は言った。
「Chiaki-san、Yさんの、後ろから来なさい。それで、あなたの、安全のために、ロープを繋ぎなさい」
その刹那、記憶の中の複数の場面や思考が一気に去来した。
その場では相槌をうつ位しか出来ない一瞬のうちに、彼はまたザクザクと登って行ってしまった。
ロープ繋げって言ったかな。
ソロで登るなっていう、あのことかな?
でもつい今しがた楽しげに挨拶を交わしたときの彼とは雰囲気が明らかに変わっていた。
現地ガイドと揉めるのは一番良くない。日本人の印象も私のせいで悪くなったら不本意だ。何より、私はその時点ですでにWilderという人の人柄を信頼していた。
下からフォローを開始したYさんが上がってきた。とりあえずここでYさんが行き過ぎるのを待とう。オーダー的にもその方が良さそうだ。かなり間を詰めてくる後続のガイドが気になるが、まあお客さん自体はそれほど早くないようだしいいだろう・・。
Yさんの通過と同時に私も登り出す。
次の支点でビレイしていたWilderと合流。すると彼は言った。
「そのロープをください、彼と繋ぐから。4mくらいあれば安全。」
やっぱり、聞き違いではなかったのか・・・
私は反論しなかった。即OKと答えた。今では、その判断は正しかったと思える。
そこから先は怒涛のクライミングだった。
ひたすらダブルアックス。分かっちゃいたけど、モノポイントアイゼンのふくらはぎはパンプ。でも彼らとペースを合わせるしかない。足を引っ張ってはいけない。

ちなみに、バツーラと合わせるとキックしてるうちに外れることが判明した恐ろしいスティンガー。シャモニで新調したダートはアラスカであっという間に行方不明となってしまったため、今回また引っ張り出してくることになった。メーカーに問い合わせたところ、ナットで留めるなどして対処するしかない様だったが、DIYが苦手だし重くなるしで放置していたのだ。今回、解決策として、プレートのところをダクトテープでガチガチに巻いて使ってみた。
これがとても調子が良かった。
もちろん、何やってんだろ、私、なんて考えも浮かんだ。はぁはぁしながら。"誰もいないときに登る"・・。どうしても単独で完登したかったなら、こんな混戦状況で登ろうとすること自体間違いだったのだろうか?でも、その"ルール"さえなければ、遅いパーティがいて順番待ちをくらったり、そうでなければ追い越しをしたりしてもらったり、そういうのは良くある話だ。
こと、このような人気ルートなら。

ガンガン登るWilder。
とにもかくにも高度はグングン上がった。しかしビレイの時間があるのもあって、いくら頑張って登っても身体の震えが止まらない。おそらくこの激しいシバリングが最も私の体力を奪う原因となった。
後続のガイドとは度々ビレイ点で一緒になった。
"君たち名前は?"なんて聞かれたりしたが、独りで登っていたかと思いきや急にWilderたちと登り始めたこの奇妙な状況を、彼はどう思っているのだろう?
山頂まであと3、4ピッチを残したところで、やっと夜が明けてきた。

昇ったねー!と沸き立つ。
やったー、太陽カモン!て思ったけど、私はただのこの時までずっと勘違いをしていた。

キタラフ北壁に日が当たっている・・・。
って、当たり前じゃん!ここは南半球!!
しかもこの壁は南西向きだから午前中はほぼ日陰ですorz
当たり前じゃん・・そもそも8月なのにいま冬だし、ここ(笑)。
やっぱり酸素薄くてボケてる?(違うか)
頂上稜線上に出たのは8時頃だった。ここから15mくらい、スノーマッシュルームを登って終了。

下から見てよくわからなかった最上部は、右から東側を回り込んで登るラインになっていた。ここら辺は年によって雪の形が変わるから、ラインも微妙に変わるらしい。
ちゃんと状態を見て登らないと、この最後のひと登りで壁が崩れて死んでいる人もいる。

空飛ぶYさん!

空飛ぶYさんその2!
08:30、頂上に立った。

5947m。

稜線上、ここより高いところはない。
快晴。雲海と見渡す限りの青空。天気のことはよくわからないが、朝の雲海は大気が安定している証拠と聞く。とにかく凄い眺めなのは間違いない!

でも正直なところ、この時の私の心の中には濃い靄が立ち込めていた。入山前から始まり、入山後の日々を振り返る。そして今日、そして今。
この登山の意味はなんだろう。

Wilderにもだが、Yさんにも申し訳ない。いやむしろいきなり巻き込まれたYさんこそが被害者だ。

BCから見えていたのは東壁側。Arhuaycochaがよく見える。

麗しのArtesonrajuさまも間近。
とにもかくにも下山を開始。下降も結局ロープを借りた。Wilderは降りるとロープは引かず「◯×△〜!」ってなにかコールするだけだった。Yさんによれば、日本語で「どうぞ〜!」と言っているらしかった(笑)。

何ピッチもの懸垂下降。

アバラコフやらスノーバー。60mおきと言わずそこかしこにある。
取り付きまで降りてきた。すでにモナカになっているところもあって降りずらかった。Wilderはそこら辺分かりきっているようで降りやすいところをサクサク下ってた。

まだ登っているパーティもいる。おそらく彼らはガイドレスのフランス人たちで、この日登頂できず、翌日再チャレンジのためHCに留まったパーティだ。

これはいわゆる空元気というやつ(笑)。ほんとはヘトヘト。

下降終了後ほどなくして壁はガスに包まれた。

BCへの登り返しは一苦労だった。登攀中も下降中もずっとシバリングが止まらなかったせいか疲労でぐったりしていた。いやな寒気もした。ロープをつないでからは、持ってきた1Lのお湯を飲むタイミングもなく、脱水気味でもあった。ゆっくりゆっくり、一歩一歩を進めた。疲労困憊の体でBCに帰着した。

それでまた、お茶をいただいた(笑)。
Wilder、Yさん、ありがとう!!

彼らはこの日下ると言っていて、スタッフがテキパキと下山準備を開始していた。私は当然無理だ。今、すでに12時。暗くなるまでは6時間。少なくとも今から数時間は休憩しないと動き出せないし、荷物も昨日までの倍になる。
このような高所に意味もなく留まるのはあまり良くないとはいえ、今日下ったら事故るな、と思った。
後続のガイドパーティも下山してきた。この日登れたパーティはもれなく今日中に降り始めるようだった。
ガイドレスのフレンチパーティだけが、ここに残ると言った。独りぼっちにならずに済んで少し嬉しかった。ちなみに彼らはキッチンスタッフを雇っている。いい匂いがすでに漂ってきていた。
昼食を済ませたYさんたちは下山していった。私は異様な疲労感で、灼熱のテントのなかに転がっていた。呼吸以外はなにも頑張らずに。
呼吸だけは頑張らないとだめだった。モニター上は、ひどい時でSpO2:60台前半まで低下した。ここで気を抜いて明日ひどい高山病になっても困る。下降ははじめ懸垂もあるし、クレバスの通過もあるから気は抜けない。
数時間、ミルクティーを飲んだり、寝たり起きたりを繰り返して、15時半を過ぎると体調も少し回復してきた。
そこでやっと、今日1日を振り返ることができた。

北壁側は見ていないけど、南西壁は充分過ぎるくらい美しいよ!
下山後、お茶をもらいながら、私はWilderに聞いた。
「ところで・・ひとつ聞きたいんだけど、なぜあの時、ロープを結べと言ったの?」
すると彼は少し表情を曇らせて答えた。
「後ろのパーティのガイド、彼が言ってきた。"彼女は何をやっている?ソロだぞ。降ろすべきだ"と。私はガイドとしての立場がある。ああするしかなかった」
私は、する必要のない質問をしてしまったかな、と一瞬思った。でも想像の中で自分の良いように解釈するだけでは、きっと何年たっても納得できない登頂となってしまっただろう。
私は答えた。
「なるほど、分かった。よくわかりました。本当にありがとう」
この言葉しかないはずだ。
彼はYさんを安全に山頂に立たせるというとても大事な仕事中だった。このビジネスにおいて正念場だった。それなのに、得体の知れない小娘を、大事なクライアントと繋いでくれ、登らせてくれたのだ。「だから言っただろ。降りてくれ」って一言言えばそれで済んだはずなのに。
まだぼーっとする頭で、その時のことを反芻した。ほんの少しでも「リードさせて」とか言おうと思った瞬間もあった自分を恥じた。そして、アルパマヨの美しい姿を数枚しかまだ写真に収めていないことに気づき、テントを出た。もっと写真を撮らなきゃ、もっとこの壁をよく見なきゃ。

本当に美しいよ!
ほどなくして、また新たなパーティが2つほど、HCに上がってきてまたサイトが賑やかになった。
呼吸だけを頑張りながら、それ以外はなんにもしないでただただ壁を眺めていた。

やっと水を作る気力だけ沸いた(笑)。
その後もテントの中で悶々としていた。
食料はなかなか食べられないせいでまだ残っている。燃料もたぶんもつ。天気も、ここから多少崩れる情報はあるが、明日の午後から風が強まる程度のことだ。もう1泊粘ることは出来なくはない。つまり、明日再チャレンジも不可能ではない。
私はこれでこの登山を終わりにして降りて良いのだろうか?
ぼーっとする頭で考えた。悶々とした。
でも、明日また0時に起きてアタック、行けるのか、自分。ペコマにも心配をかけるだろう。否、それよりやれるのかどうかだ。冷静に考えて、やれるのか、自分。どうなんだ。

それにしてもあそこまで寒かったのはなぜか?順化不良?カロリー不足?気温に比して薄着しすぎだったとは思わないんだけどなぁ・・
私はたぶん無理があるという結論に、はじめから傾いていた。心も体も弱かった。
事故るだろう。5割くらいの確率で。
降りよう、明日。
粉スープを使って白飯を食べやすくする作戦を、残りのスープを使い果たして実行した。食べられる。それだけでホッとする。食べてくれないと身体は回復しない。
19時くらいまでは頑張って起きていたけど、耐えられなくなって寝た。明日も早起きして、ゆっくりかつ安全に下降しよう。
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