2020/05/25
花を買ったことなどについて。
一匹の小さなクサカゲロウが、車内に迷い込んでいました。そのはかなげな生き物は、ほっそりとした薄緑色の躯幹から、英語で"lacewing"と呼ばれる透き通った2枚の翅をすっと伸ばしつつも、それを使おうとする素ぶりは少しも見せずに、ただ糸のように細い足をよちよち動かして、ゆっくりゆっくりとフロントガラスの内窓を登っています。
幼虫が"アリジゴク"として有名なウスバカゲロウと同じ仲間ですが、クサカゲロウの幼虫はアブラムシを(大量)捕食する"益虫"なのだとか。そして、更に調べてみると、彼らは"短命"で知られるカゲロウとは違い、成虫になっても数週間生きるのだそうです。
さて。この1ヶ月間、政府や自治体の方針と社会の要求に寄り添い過ごして来ました。とはいえ、新たな法律を作らない限り、公権によって国民の私権を制限することの出来ない本邦において、思考停止する必要はないと思っていましたから、なるべく幅広い情報と知識を集め、行動の可否を見極めつつ、個人の自由に伴う責任についても熟慮しながら、日々を楽しく過ごしておりました。
私は医療従事者ではありますが、コロナ診療に関わってはいませんでしたから、私がここに弄する駄文は、登山・クライミング愛好家としての一私見です。
さてもこの社会活動全般の半強制的なリモート化に伴い、新たな価値観が見出されました。そして元来働きすぎであったともいえる(少なくとも私はそう思っていた)我が国において、"働き方改革"が真に達成されたようにも見えます。
さらには、都市機能"首都一極集中"の弱点が浮き彫りになりました。これを機に地方創生が進み、私の生まれ故郷の超過密状態が少しでも改善されればなお良いと思う今日この頃です。
緊急事態宣言発出から約1ヶ月半。6月を前に、自主的な自粛のみで一時窮地を脱したわが国の国民性には頭が下がります。
しかし登山愛好家として思うことは、"出口戦略"を真剣に追求していかなければならないのだろう、ということです。
この自粛期間中にも、登山中の遭難・レスキュー事案がマスコミのプロパガンダよろしく報道されました。"不要不急"という言葉もこのある種の"プロパガンダ"に利用され、日に日にその魔性を増しているように見えて少し怖いなと感じています。
道端にある高難度Eグレードのルートをトライしているクライマーの横を、「彼は限界に挑戦しているのだから邪魔しちゃダメよ」と言って一般の通行人が通り過ぎるような国は極端な例としても、もともと山岳遭難者の救助に国税でヘリが飛んだと言って批判されるような国においては、このまま貴重なひとつの文化があっさりと排除されてしまう可能性だってゼロではないと思うのです。なんの根拠もなく、実態もない恐怖ですが、都内のゴルフ場が営業しているのに、他県の登山道が閉鎖されていた状況などを目の当たりにした上での、ある種の危機感です。さらに怖いのは、そのどれもが法的根拠にとらわれていない自律的な行動であるからこそ、ある意味"合理的"になりきれないという点です。居酒屋等を標的にした"私刑"という大義名分のもとに行われる"憂さ晴らし"はその成れ果てというか、裏返しであるような気がしてなりません。
昨日、少し人の出の戻りつつある商店街で、綺麗な花を見つけて買いました。こうなる前は寝る以外ほとんど留守にしていたような、花瓶もないような家の食卓に珍しく花を飾って、それだけでも辺りがぱっと明るく華やかになりました。

こうした不要不急の行為全てが豊かさを生み、社会全体を活性化し、その質を向上させていくのです。人々が殺し合うこともなく平和な日本では、生きるために必要のないことでほぼ社会が成り立っています。そうした多様性を排除することは社会の退化といっても過言ではないでしょう。私はアウトドアが好きですが、パチンコが好きな人やナイトクラブに行きたい人を理解は出来ずとも、批判したり否定したりはしません。全ての人が全ての人の生き方や価値観を許容しあい成り立ってゆくのが豊かで洗練された健全な"人間"社会だと思います。そして登山やクライミングも当然、この社会において正当な市民権を得るべきものだと思っています。もちろん、クライマーの潜在的な"反社会性"は重々自覚していますけどね・・・(笑)。劇場や飲食店が今後段階的に通常営業となるのに、登山が自粛の対象とされ続けることに果たして"合理性"はあるのか、やはり疑問を感じずにはいられません。

最近の家活は、クライミングトレ、ラン、語学、映画鑑賞、不用品整理もといメルカリ・・・(笑)

マラソン中止になって一時完全にモチベーション喪失したところから、月間走行距離を軽々更新(笑)。

ギターもはじめました。
ところで、冒頭にふれた"カゲロウ"は成虫になってから1日で死んでしまいます。そんな見た目にも非常に弱々しい生物でありながら、実は3億年も前からその姿、生態を変えず生き残ってきたそうです。それが出来たのは、彼らが繁殖のみに特化したからという説が有力です。ものを食べるための口すら無い成虫は、羽化してすぐに生殖活動をし、捕食者に捕らえられる前に死んでいきます。幼虫の姿で数年を過ごし、その一生の最後の瞬間、死ぬ間際に、子孫を残すためだけに成虫になるのです。
ここまで"不要"を排除した生き物もある意味驚異的ですが、私は人間なので、そして変わらず旅と登山が大好きなので、これからも堂々と好きなことを継続できるよう、生きる道を模索して行きたいと思います。
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