2007/03/22
学生オケ
昨日は春分の日でしたが、朝から病棟に行って回診が終わった後、しんとこに新しくできたパスタを食べに行こうということになりBSLの班員3人でしんとこへ。前にぼちぼちって御好み焼屋があったあとに出来たmamaなんとかっていうパスタ屋で、カルボナーラが380円、ペスカトーレが820円と安い。
パスタ食べた後、o君の提案で、まだレポートが残ってるy君に無理やりうんと言わせた感じでビリヤードへ。
私のビリヤードの腕前はひどいです。手元がぶれすぎで、うまくいったやつはみんなジャンプボール。でも昨日1日で普通の人レベルにまで上達しました!やっとコツが掴めたかも。最初、自分があまりに下手なことを知っていたのでうーん、と思ったのですが、y君も大概だということが分かってからはのびのびと打てました笑(y君は結局最後までひどかったと思う)。
んで、その後学校の弦楽アンサンブル部の卒業コンサートを聞きに行きました。今回はウィリアムテル序曲とサンサーンスのチェロコンとブラ1。
卒業生は指揮者をつとめていました。私の目には、最後のブラ1でテンションがピークに達していたように見えた。私はそのとき何だか知らないけど、彼の指揮にいたく共感して胸を打たれていた。
音楽が好きだ、という気持ち。今までもこれからも変わらず音楽が好きなんだ!!という熱い気持ちがひしひしと伝わってきた。その熱い思いから出来上がった彼のオーケストラで、学生最後の演奏会でタクトを振る気持ちってどんなだろう。きっと色々な思いがひしめいているんだろうけど、きっとそれを精錬させていくとひとつの思いに収束するんだろうな。
音楽が大好き!って思いに。
そんな風に私は思った。そんな風に思わせてくれるような指揮だった。
振り切って壇上を降りる彼の表情は、達成感というのもあるのだろうけど、私には「ああ楽しかった!やっぱり音楽って最高!」そんな風に言っているように見えた。
どんな分野であれ、人に感動を与えるって素晴らしいことだと思う。感動っていうのはたぶん、とても単純なメカニズムだと思う。「共感」だと思う。潜在的に共感できる部分があるから人はそれを理解でき、それが感動へとつながるのだと思う。自分と縁もゆかりもないと思っているものでも、もし感動が生まれたならそこには何らかの「近しい感情」が存在してる。
その点で、大自然に感動するのと人もしくは人が生み出したものに感動するのは少し違っているのかも。誰かが「俺は大自然より人が好きなんだ。だから歴史物とか見に行くほうが感動する」って言ってたけど、要はそういうことなんだろう。感動する生き物が地球上でたぶん人間だけだからあれなんだけど、人に感動できるのは恐らく人だけなんだと思う。
大自然への感動は共感とはちょっと違う。母なる自然とか言うし、地球上の生物として自然に還るみたいな潜在意識は勿論あるんだろうけど、でもやっぱり共感とは違う。単なるすがすがしさに近いかもしれない。演奏に関して言えば、単純にテクニックに対して感動する、というとき使う感動はこのすがすがしさに似たものだと思う。実際に心がつき動かされて目頭が熱くなったりするときの感動は、そこに心を動かすだけのパワーがないと生まれない。そのパワーってきっと、心だと思う。心を直接突き動かせるのって心だけなんじゃないだろうか。
言いたいことがまとまらなかったけど、私は昨日だからちょっと感動した。そして、やっぱり音楽ってイイナ、って思った。
そんな風に思えた演奏会だったから、行って良かったな、と思えた。
さて、そろそろ病棟に行くか。
泌尿器科最終日!
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