2008/10/10
今日は前夜祭
んで、明日から2日間文化祭です。わたしは例年通り、HOST CLUBというアカペラバンドでライブやります。
HOST CLUBは私以外の男子5人で3年生の春くらいから活動していたんですが、その年の夏くらいにわたしも誘われ、今の6人メンバーとしては3年秋(文化祭)から始動しました。
それから3年がたちました。HOST CLUBの並木祭公演としてはついにラストライブです。

これまでに文化系の日(1年生が入ってきた時やる文化系クラブの発表会)で3回、クリスマスキャロル(整形外科病棟でのライブ)が2回、路上ライブ2回、弦楽アンサンブル部との共演1回、並木祭公演で3回やってきたわけですが、そのほとんどで本番のコンディションはよくありませんでした。
というのも、それまでボイトレに通っていたとはいえ月2回で普段から歌いこんでいたわけではなく、でもライブの前になると毎日練習があったので毎日歌うようになる。
そうすると必然的に喉を傷めるわけです。喉を傷めると風邪もひきやすくなる。んで、コンディションが悪くなってからケアを始める(龍角散、イソジン、のどあめなど)。でも悪くなってからのケアというのは大抵効き目がなくて悪化する一方。だから本番では気管支拡張薬でも抑えられない咳を抱え(咳喘息をもっており、風邪などひくと咳が止まらなくなる)、イガイガする喉で歌っていることがほとんどでした。
それを反省して、最後にしてやっと、わたしは”予防”ということを思いつきました!(遅!)
並木祭公演の練習がはじまる1か月くらい前からのどあめをなめ始めたんです。のどあめを携行して、常に潤っているように、気が付くとなめてました。やったことといえばそれだけ。でも今回はいつもより激しく歌いこんでいるのに喉の調子はかなりいいんです!やっぱり悪くなる前に対処することが重要ですね。悪くなってから治すのは予防の何倍もの労力が要る。医学にも言えることだと思います。。
上の写真は弦アンと合同で演奏会したときのもの。
このとき、弦アン目当てで来ていたお客さんからは結構微妙な意見ももらいました。
その中で気になったのが、「マイク」に対する拒絶反応。
「クラシックにマイクは使わないんだ。だからマイクを使うのはナンセンスだ」
まあ、確かにマイクの存在しない時代からあるクラシック音楽はマイクを使わない演奏が主流でしょう。でもマイクのある現代ではオケと電子楽器との共演、マイクを使った音響操作をする演奏も沢山あります。
最後にやったHOST CLUBと弦のコラボの「You Raise Me Up」などは、曲自体がもともとクラシックの曲ではないし、オリジナルVer.から何人もにカバーされたVer.でも弦とアンプを使ったバンド、マイクを使った歌が共演する編曲なので、マイクを使うのは当然なんです。
確かにマイクを使うのは反則!って意見も多いです。利点としては声量調整が音量つまみで出来てしまうという点でしょう。そういった点では楽に演奏できるという部分も少なからずあります。特にベース、ボイスパーカッションはマイクが無いとほぼ不可能とまで感じます。
でも最近マイクでの練習を重ねるようになって感じているのは、楽な面よりもむしろ「マイクの難しさ」です。肉声での合唱ではごまかせていた微妙な音程の狂いなどが容赦なく増幅されてしまいます。肉声よりもっと音程に厳しくないと響くのは不協和音ばかり。たとえば私たちのような少人数バンドではたいてい1パートひとりですが、たまに1パート複数になることもあります。そういったときには、肉声なら一人一人の音程が多少ずれていても数でごまかせる的な要素があったのですが、マイクになると2人で不協和音を作り上げてしまうことに。もちろん1パートを1人が担当するときもかなりの正確さや声質などまで考えないといけなくなります。
そのほかにも機械を扱うならではの難しさ、たとえばハウリングなど問題はいろいろです。そういう面は純粋な音楽とは言えないのかもしれないけど、マイクにはマイクの難しさがあり、でもマイクでないと作り出せない音楽があるから使うわけです。楽器がないと楽器を演奏できないというのとまったく同じです。「機械に頼っている」という考え方よりは、「機械をいじることも演奏の一部」といった感じです。
ということでリードを3曲務める私も責任重大。アルト音域の音もちゃんとひろってくれるのはいいのですが、微妙な音程のズレや喉のふるえまでご丁寧にひろってくれるため、とっても大変です。昨日のリハでも萎え萎え。。
とりあえず今日の前夜祭では私に負荷のかかる曲はやらないのでちょっと気が楽♪
最後の文化祭楽しんできます!!
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