2012/12/14
転石苔を生ぜず
イギリス式や日本式だと苔はプラスなものだが、アメリカ式だとマイナスなものだと聞いたことがある。私は高校卒業以来転がる石の如くいろんなところで生活しており、これから先数年もそうなる予定だ。
高校までは大田区萩中・糀谷
大学6年間+卒後1年は埼玉県所沢市
卒後1年弱は世田谷区池尻
卒後2ヶ月間沖縄県那覇市
卒後2ヵ月間福岡県久留米市
卒後2ヵ月間、引っ越した実家の大田区大森
現在、宮城県仙台市に住んでもうすぐ1年半
来年6月以降にまた埼玉に戻る予定で、その2年後にまたどこへ行くかは未定。
久留米はほぼ2ヵ月監禁生活だったので街に出たのは数回の週末くらいだったが、それ以外の場所ではちゃんと日常生活を送っていたので街に馴染みがある。そしてどの街も、そこを離れる日にはとても離れがたく寂しかった記憶がある。あ、久留米だけは嬉しかったけどw
仙台も暇あればうろうろしたりしてだいぶ自分の街って感じになってきた。
離れる時は寂しいんだろうな。
こうやって「自分の街」が各地に増えていくことは嬉しいことだ。
私は転石苔を生ぜずのことわざはアメリカ式にとらえている。
というか、そもそもクライマーとして、苔々の石よりも綺麗な石のほうがいいに決まってる。
自分は放っておくと苔が生えやすいたちだと思うので、若いうちは不可抗力によってあちこちに行かされる方がいいんだろうと思う。
「寂しい」は苔だ。少し経つと「財産」にかわるのだから、不要な苔は払わねば。
人生はシンプルなほど豊かになると私も思っている。
今後も世界の色んな場所に第二、第三の故郷をどんどん増やして行きたい。
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