2013/03/04
ブログ文学
もの書きになりたいという夢が健在で、いつかは何らかの作品を形にして出版できたらなあと思っている私は、ブログも文章を書く練習として続けているところが大きい。日記はブログと違って単に事実の記録だ。誰かに読まれることを前提としていないから、文章の質はかなり落ちると思うし継続も難しい。その点、ブログは人目を気にするから自然と文章に気をつけるし、人目があると思う故に続けられるところも大きい。
ブログは、私なりの解釈としては、「エッセイの簡易版」と思っている。
だから読みやすさ、面白さだけでなく、文章の結び語の選択や語呂なんかにも気を配って書いている。
頭がごちゃごちゃした状態だと書き始められないし、書きたいことが”上手く”書けないスランプ的なときもあって、そういう時は更新が滞る。
本当は、自分がある程度納得できる文章を滞り無くすらすらと書けるようなスピード感も欲しいから、
ブログはそういう意味でもいい練習になる。
それに、完成した”作品”というわけでもないので、エッセイ等よりは質の低い文章のまま人目に晒すことが出来る、と言った気楽な点もブログの特性だ。
とまあ、私の中の「ブログ感」ってそういうものだった。
でも最近その概念が世間のそれと違ってきているように感じる。
中学生の頃からパソコンを触り始めた私にとって、ネット上の「私」とリアルの私とは別ものだった。
その頃はそういう認識でネットサーフィンしていた人が多いのではないか。
だから私はごく最近まで、「claire」というHNを用いてネット上で発言してきた。
それがSNS全盛の今、Facebookなんかだと本名での交流までもが行われるようになっているし、ブログも、リアルのことをただ単に記録するだけ、みたいな使われ方がとても多くなってきたように思う。
有名人のブログなんかが正にそうだ。
私としては、未だに前述の感じでつぶやいたりだのブログ書いたりだのしているので、いざリアルで「この間のブログ読んだよ、なんとかなんとかだよね」とか面と向かって言われようものならもう違和感満載なのだ。
だけど最近はやたらとそういうことがある。
だから流石に私も諦めた。
もはやインターネットは一般的になりすぎて、リア充もDQNもVIPPERも真人間も関係ない、誰しもかれしものコミュニケーションのツールとなっているのだ。
「尾根の向こう」や私のこのブログにしても、今まででは考えられないほど多くの人様の御目に晒されている。
つまりリアルとは別人格という設定で好き勝手な事をのたまう、というような使い方は控えるしかないのだ。
こんなこと意識するようになったのはもう数年前だし今更こんなことを書くのもいささか馬鹿らしいが、私のよく知る、わざと辛辣な表現や斜に構えた発言をするブログを書く人が少なからず嫌な思いをしたようなので、フォローのつもりで書いてみた。
でも、今やブログに書いた内容でリアルに攻められても文句の言えない時代なのだ。そこは理解するしかない。
SNS人格なんて言葉まで登場している。
私からすれば、ネカマだろーがなんだろーが、リアルとネットは別ものなんだからいいじゃないか、と言いたいけど、現代人はネット上の人格とリアルが一致してないと違和感があるそうだ。
(まあ一致してない事の方が多いような気がするけどね・・・)
私はそういう時代の流れに敢えて逆らったりせず、きちんと受け入れて自分の本音はさらりと隠し、これからもブログを続けていこうと思っている。
さ、今週末の天気チェックしよ〜。
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