2013/07/31
これからのこと
明日、仙台から埼玉へ異動だ。仙台で過ごした2年間は実に様々なことがあったが、私の人生に大きな影響を及ぼした出来事もあり、正に人生の転機ともいえる印象的な地となった。
私はこの9ヶ月ほどの間、出来る範囲で少しずつ、ある出来事の「記録」を綴ってきた。
そしてその作業を通じてある人の死の理由を探ってきた。
その作業は自分にとって辛いものだったが、この8月からは仕事も忙しくなる事を考えると、時間のあるうちに出来るだけ掘り起こして、ちゃんと記録に残しておかなければならないと思っていた。
本当はなるべく記憶が新鮮なうちがいいので半年以内にと思っていたが叶わなかった。
その作業は予想以上に苦しく、それゆえ予想以上にはかどらないものだった。
私は、人間が忘れる生き物だということを知っている。時間が経てば経つほどに本当の記憶は薄れ、想像力によって真実は捻じ曲げられ、真相は永久に謎のままになってしまう。
それは、あの出来事によって欠けてしまった私の一部が永遠に戻らないことと同義のように思えた。
無論、私が元通り全くの無傷の状態に戻れるのかは分からない。
同じ経験をした人の発言などを参考にすれば、何もなかった頃に戻る事は難しいのかも知れない。
私があと何年生きるか分からないが、もし70で死ぬのだとしても、まだ後40年以上も楽になることは出来ないのかも知れないと思うと気が重い。
だが、その苦しみを忘れることによって、無かったことにする事によって解決するのだけは避けたかった。
だから悲しい記憶を辿りながら、私はある出来事と、ある人との過去の思い出を綴ってきた。
その私の大切な人は、自殺した。
その時の私にとって、その事件は余りに唐突に思えたし信じ難い出来事だった。
本当は自殺ではなく、自殺に見せかけた他殺なのではないか。
そんな風に疑ってしまうほど、起きる筈の無い事件だった。
だが、9ヶ月に渡る真実を求める作業によって、それはやはり予測出来た事、充分に防ぎ得た事なのではないかという思いが強くなった。
特に私は医者であり、専門ではないが多少なりとも精神科疾患に対する知識がある。
現に私は当時から薄々感づいていた。
特に診断されたり治療を受けたりしていたわけではなかったが、その人には他の人と比較して自殺の可能性が高い資質があったのではないか。
そんな人が追い詰められている状況で、私が行った行為のなんと冷酷なことだったろう。
私が殺したのだ。
その人の死の瞬間からあったその思いは日増しに強くなっていった。
自殺者はその9割が何らかの精神疾患を持っているという。鬱病や統合失調症などであればその疾患そのものの症状として自殺が起こるケースが多いし、パーソナリティ障害を持つ患者では「トライがたまたま成功してしまって」亡くなるケースが多い。
そして遺された者もまた様々な感情を抱く。精神疾患を発症してしまう人も少なくない。ものの本を読めば大抵の事は書いてある。
私は無知過ぎたのだ。
日本では年間3万人程度が自殺によって亡くなっている。
自殺を予防する様々な取り組み、呼びかけもなされている。余り自分に縁が無いこととして実感が湧かない人が多いだろう。だが今私はそういったポスターを見る度にとても沢山の、見えていなかった現実を知る。
もう遅すぎるのだけれど。
今回思い知ったことは、「この世に起きない事などない。何でも起きる」ということ。そして「死んだら何もなくなる」という2つの事だ。
特に2つ目の事実は一時期、私の全てを覆い尽くしてしまって、生きてやっていることの何もかもに意味が無いのではないかと思わせるほどの空虚感を与えた。思い出は残っているけれど、そもそもこれからのために思い出はある。それなのにその人にはもう「これから」が無い。まるで始めから何も無かったかのような残酷さだ。そうしてその人が残したものに触れる度に空虚感と絶望を感じた。それは多分、生きている者が感じてはならない感情だった。
周りのとても沢山の人たちのおかげで私は今普通に日常生活が送れている。だが、今の段階では私は2つに分かれている。1つはその人を思ってただ嘆き悲しむだけの自分、もう1つは今まで通り生活する自分。
幸いなことに、山や日常生活の中にその人の面影は少なかった。だからその人のことを思いさえしなければ、山に行ったり普段の仕事をこなしたりする事は出来た。でもその2つが共存することは難しい。それでは何も手につかず、忙しい毎日を過ごす事が出来ない。生きている人間は生きて行かなければならないのだ。
そしてその反応は正常な反応であるらしい。私自身、自分が2つに分かれていることが不安で、職場のカウンセラーに話を聞いてもらったことがある。皆、大きなショックを体験した人は少しずつ時間をかけてその事実を受け入れるものであり、事実が受け入れられない、または受け入れられない自分とそれを忘れて日常を送る自分とが別に存在することは仕方ない。ごく自然の反応であると。だから私がおかしくなっている訳では無いらしい。それが分かっただけでひと安心だった。でも、そのカウンセラーの所に行ったのはその一度きりで、再び訪れることはなかった。カウンセラーの方が私の話に余りに衝撃を受けていたので、これ以上この人と話しても何も得られないだろうと思ったからだ。
近親者の自殺を経験したひとはその多くが「自責」を感じるそうだ。
つまり「自分が殺した」と思ってしまう。
でもきっと故人はそんな風に考えることを望んでいないし、私を救ってくれた多くの人もそれを悲しむはずだ。
それに、そんな風に自分を責めるのは実は楽な行為で、褒められたものではない。生きている人間はもっとしっかりと生きて行かなければならないのだと思う。苦しくてもそれが使命なのだと思う。
色々調べていて知ったのだが、皮肉にもWHOが定めた「世界自殺予防デー」は9月10日、その人がお腹を痛めて産んだ、私の誕生日と同じだった。
今その人の心安らかで、手帳の中の写真と同じとびきりの笑顔で笑っていることを願う。
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